自己紹介

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 ずっと 魂が呼ばれている気がしていたアフリカに青年海外協力隊で行くことが決まりました。 どんなことが待ち受けているのか楽しみでわくわくドキドキ!!!。 幼稚園の先生としての経歴 ・日本の幼稚園4年間 ・ベトナムの日系幼稚園2年間 ・韓国の幼稚園の日本人クラス1年 ・ドイツの日系幼稚園2年間 ・日本のインターナショナル幼稚園10ヶ月 ・セネガル幼児教育隊員2年間。 幼稚園の先生最高です!!!! 自分にむいてないと思ったことは何度もあるけど辞めたいと思ったことは一度もない! 子どもから学ぶこと多し! この職業に出会えて本当によかった~~~~~~~~~~~。

2010年11月18日木曜日

タバスキ ~後編~ (注意!羊解体写真あり。)

タバスキように作った服はおっちゃんと喧嘩をした次の日に何とか出来上がりました。

おっちゃん:”毎日来てくれたのに本当に悪かったよ。ごめんなさい”
私:”いいよ。出来て嬉しいよありがとう。またここで何か作るね”

っといってあっさり和解。
セネ人に心からごめんなさいを言われたのはここに来てから初めてです。
人に苦情を言うのがとても苦手な私・・・でも今回解りました。

何も文句を言わないで”二度とくるか!!”って心の中で思っているよりも、言いたいことをいって仲直りしてこれからもまた関係を続けていく方法ってなかなかいいなーっと・・。


そんなセネ服を家で来てみると、スカートが長すぎて引きずるわ、上着は小さくて無理にチャックを閉めたら壊れるわで採寸の意味ねぇ~~~~!!!タバスキは結局私服で参加。



・・・・・・あっ・・・おっちゃんごめん、やっぱりあなたの所ではもう作らないな。


さてさてそんなタバスキ当日

朝から羊を殺すところを見に行ったのに、裏でくつろいでいる間に男どもがとどめを刺していてすでに息絶えそうになっている羊がいました・・・。
見逃したぁ~~~。

みんなで足をもって次々に皮をはいでいく ナイフの切れ味が悪くなると地面でとぎながら・・・




解体された足はすでに子どもの遊び道具・・・。





顔も・・・






皮は干してお祈り用のマットにするそうです。





とりだしたレバーをすぐに焼いて食べる。新鮮でなかなか美味しい!!



その後昼は教育省のカウンターパートの家で、
夜は私のセネガル母の家で


羊料理を食べまくりました。

一日経ってもまだ右手から羊の匂いが漂ってきます・・・・。

日本で肉を買うとき、すでにパックになっているので(よく考えれば解るんだけど)余り意識してなかったように思う。
動物や植物の命をもらって自分は生きているんだな~と。

園児に”いただきます”とは”命をわけていただきます”なんだよっと給食の挨拶の時に教えてきたけど

本当にその通りだなと実感した一日でした。

2010年11月15日月曜日

タバスキ ~前編~



町中の羊が食べられてしまう日まであと3日

 タバスキ(犠牲祭)はラマダン(断食月)が明けて一ヶ月と十日後、イスラム暦の十一月十日に行われる祭りであります。
日本でいえば正月に匹敵するような大行事なのに、なぜだか日程が確定するのはぎりぎりになってからで“ 今年のタバスキは11月の16日か17日ぐらいだわー!前後3日くらいは幼稚園も休みだから来なくていいよ!!インシャーラ“ですってさ。
なんて大雑把な説明だろうか。


 意味がわからないので謎が多いタバスキを調べてみた。↓

・旧約聖書の、アブラハムが信仰の証として最愛の息子を神の生け贄に捧げようとした故事にならって、一家の家長たるものは、その資金力に応じて、羊を最低一頭は殺して神に捧げなくてはならない。
それがイスラム教徒である家長としてのつとめである。

・お金のない人は羊より安い山羊とかあるいは鶏とかを代用しても良いことになっている。けれども、羊は必ずオスである。



 なるほど・・・一家の家長にして見れば、男としての沽券に関わる重大事、年に一度の羊の肉の大盤振る舞いの日なわけね。
でも当然、日ごろから計画してお金を使うという観念がないセネ人・・・羊を買うお金のやりくりに四苦八苦するわけでございます。


そして必然的に私にもとばっちりがくる。


タバスキ用にセネガル服を作ろうと仕立て屋に出した服がまったくできない。
本当なら10日前に出来上がってるはずなのに、毎回行くたびにごめんごめんもうすぐできるから明日来て!!と言われる。
毎日そんなやり取りをしていたが今日はあからさまに怒った顔をして
“もういい!毎日、明日明日って言って一体いつできるというのさ!違うとこに出すから 金返せ!!!!”
と言ってみると、おっちゃんあわてて布を引っ張り出し
“今すぐするからほら!!みて、もうちょっとまってて”
っと焦っている。さすがにやばいと思ったのか・・
“ジャトゥー(私)実は問題があって”
っといいだすので
“ 何?”
っと聞き返すと
“仕立て屋がおれ一人しかいないから仕事がいっぱいで進まないんだよ・・・”

っていやいや・・そんなんはじめっから解ってるやんか~~い!!!

タバスキにあの服が間に合うかはインシャーラだな・・。


そして、もちろん、“お金頂戴”“貸して”攻撃もいつもよりまして多くなる。

・・・なのでうんざりして仲のいいセネ人に愚痴ってみる。

“お金貸してって言われるのってそんなの友達じゃないと思うんだよ!すごく悲しい!!私はセネガルに住んでいるしボランティアなんだからお金持ちじゃないのに!!!”
と言うと、
“うんうん解るよ!そんなの友達じゃないよな!そういう奴はほっておけばいいさ!”っと慰めてくれたので、あぁ、セネ人にもいい人はいるなぁ~。っと聞いてもらって少しすっきりした気分でいると、“ところでジャトゥー、タバスキ用に羊が買いたいんだけど三万FCA貸してくれないかな?”だってさ・・・。

ぬぉぉぉぉ~~~さっきの話きいてへんかったんか~~~ぃっっっ!!!??

・・・・毎日コントしてんちゃうねんで、ほんまもう勘弁してやー。

2010年11月10日水曜日

ある日の幼稚園(いいのか悪いのか)

 幼稚園もやっと授業が出来るような感じになってきました。

クラスに入ると先生が”誕生日表を作ったんだよ!!”っというので
日本人の私は↓こんなん(写真:日本の幼稚園の一般的な誕生表)を想像して



”おぉ!!見せて見せて~~~!!”
っと指さされた方をみると



↓これが・・・




うーん ユニークで斬新なデザインだわ・・・。


・・・去年はなかったから 作ったという意欲が素晴らしい!!・・・よね!?うん。


でも先生が井戸端会議をして子どもが放置され続ける現状はかわらないので、準備してきた体の名前表を使って手遊びの導入をしていたら
”それ私も作って教室に貼るから写させて”・・・・・っとなんと先生が食いついてきた!!
”いつもはなんの教材もない!!”っといって私から物をせびろうとするのにどこからか紙とカーボン紙(そんなんあるんかいっ!!)をもってきて思いっきり上から鉛筆でなぞり、そのままそっくり作ってました。
自分で自由に作るのは苦手なようでもマネをして作るのはなかなかのものです。
こんなんだったらもっとかわいく作っとけばよかったな・・・。




↑あっ・・・でも子どもたちますますほったらかしですけど・・・


それにお絵かきしようと思って持ってきたクレヨンが先生に使われ幼稚園中に3台しかない机が占拠されてる。





↑先生たちが注意しなくなったので、暴れに暴れる子どもたち
(叩かない人の言うことは基本的に聞かない性質!?)
もう・・私の手には負えないよ・・・・。


↓それでも真剣に複写する先生たち


先生・・・あの・・・子どもたちもう家帰りましたよ・・・。

おぉっと~~!!!これでまさかの一日終了!?
チ~~ン。


いつもは何もしない先生が教材にくいついてくれて、自発的に製作してくれたことはすごく嬉しいが・・・体の名前と手遊びまでしかできへんかったやん・・。
(導入だけで本題に入らず終わったわけです。)
・・いいんか!?私こんなんで!!
・・いいさいいさ、ここはセネガルあせることはない
・・いやでもこれじゃ2年じゃ何もできないじゃ~~~ん
などと自問自答を繰り返すも答えは出ず。

でもそれでも、こんな小さな一歩を積み重ねる事が私の活動なのは事実だし・・・のんびりやってくとするか?

2010年11月8日月曜日

喜怒哀楽





写真
・トゥーバ ここにセネ人と旅行に行って喧嘩しました。
・幼稚園、、やっとこさ授業再開
・セネガルの国に隊員が派遣されるようになって今年30周年です。
式典が首都であり、教育会のブースのデコレーション案を担当させてもらいました。みんなに手伝ってもらい素敵なブースになりました。  
・赤ちゃんが生まれて1週間後盛大なお祭りをします。 あぁかわいい。


女心と秋の空。

うまいことゆーなぁ~~~。


1人のセネガル人に親切にしてもらえば ”セネガル人全員大好きだ~~!”
って思え・・・

1人のセネ人と喧嘩すれば(喧嘩の原因は、ほぼ物やお金の問題)こんなんだからこの国は発展しないんだよ~~~バーカバーカ!!って思う。

そんな日々の繰り返しです。

最近、喜怒哀楽の ”怒”と”哀”が欠落してる病気なんじゃね~~?っといわれるほどアフリカに来たことが嬉しくて浮かれているようにみえる私ですがそうではありません。
ちゃんと喜怒哀楽あります。人間だもの・・・。




”喜”

”目が合う人すべての人に挨拶をしよう週間”を自分で設定し、握手をして、進められるアタイヤ(甘いお茶)を飲み、セネガル人とたわむれにたわむれる日々・・・世界八方美人選手権があったら絶対メダルがとれるだろうな。っと思うほどに愛想を振りまき、そして私も親切にしてもらいました。
目的地になかなかつかない(・・・というかもはや、たどり着けない)っというデメリットはあるものの、まったく覚えていない人達からも”ジャトゥ~~”っと手を振られるようになり、今まで前任者の名前ばかり聞かされていた私ですが、やっとカオラックに根づいてきました。知名度アップですイェイ!




・・・・っと思えば。



”怒”

 先日とっても仲良くしていたセネガル人と旅行に行った時になぜだか交通費を全員分払えと言われ、あぁそういうことになってたんだ・・・友達だと思っていたのに違うかったんだと思うととても腹立たしくそして悲しくやるせない気持ちになり帰ってくると今度はガルディアンまで(警備員:夜だけやとっている)が”洗剤が切れたからくれ、懐中電灯の電池もない、携帯の充電器をかせ”など色々いってきたので”もう私は何もあげないよ!、それで嫌なら辞めたらいいんじゃない?、後は自分んで考えて!”っと怒り爆発 向こうも持っていた洗剤のゴミを庭に投げつけてふてくされていました。

そういう時に限って”お金はどこ?”ちょうだいちょうだい”っと寄ってくるセネ人に出くわすもので・・・私も”なんで?まず挨拶をしろぉぉぉ!!!お金なんかあげるかぃ!!!”って怒鳴返したり・・。

あぁ喧嘩して怒鳴ってって、、、こんなん日本におったらせーへんなぁー絶対。

人は自分の鏡だな・・。自分が親切にすれば同じように相手からもされる。
反省。



”哀”

同僚の一言:”前任者はウォロフ語がペラペラだったんだよ!!ジャトゥーはフランス語もウォルフ語もままならなくて一体何を教えるというの!?”
私:だよねーーー。

・・・ここに来て6ヶ月も経つのに こんなこと言われてたらあかんな私

アフリカの子供たちが何が好きで何を考えて過ごしているのか知りたくて、そして何が私に出来るか・・・そのためきたのに、フランス語と現地語の間で迷っていた私。結局何語も習得できていない。
これからのフランス語スキルアップのためにここに来たんではない。
今の自分の仕事もきっちり出来ないで今後何ができよう。
先生の仕事は子供たちと心を通い合わせてなんぼ・・・。
今私に必要なのは現地語だな。決意も新たに頑張ります。




”楽”

前々からやりたかったジャンベをやっと購入!
仕事の後習いに行ってます。
めーーーーーーーっちゃ、めーーーっちゃ楽しい。
あぁこれこれこの感じ!!
ブラスバンドしてた時とか和太鼓してた時みたいな 心がざわめくような、ドキドキするような楽しさ!!!
やっぱ音楽やめられへんな。今一番の癒しです。