自己紹介

自分の写真
 ずっと 魂が呼ばれている気がしていたアフリカに青年海外協力隊で行くことが決まりました。 どんなことが待ち受けているのか楽しみでわくわくドキドキ!!!。 幼稚園の先生としての経歴 ・日本の幼稚園4年間 ・ベトナムの日系幼稚園2年間 ・韓国の幼稚園の日本人クラス1年 ・ドイツの日系幼稚園2年間 ・日本のインターナショナル幼稚園10ヶ月 ・セネガル幼児教育隊員2年間。 幼稚園の先生最高です!!!! 自分にむいてないと思ったことは何度もあるけど辞めたいと思ったことは一度もない! 子どもから学ぶこと多し! この職業に出会えて本当によかった~~~~~~~~~~~。

2011年12月6日火曜日

タマハリ

今日はタマハリ(イスラム暦の新年に当たる日)です。
幼稚園の先生たちも今日はタマハリだから!!っと子どもたちをいつもより1時間も早めに園から帰してしまいました・・おかげで私の製作はやりかけのままです・・・でもまいっか~~続きは今度 インシャーラ!

19時、タマハリにしか食べないスペシャルな鳥のクスクスをたらふく食べます。
タマハリのクスクスはなんでこんなに美味しいのだろう!!!!思わずお腹いっぱい食べてしまいましたが、第二弾に砂糖入り牛乳がやってきて今まで食べていたものにかけてしまうもんだから・・・いつものなんだか甘~~いクスクスに早変わりです。・・・うえっ・・・。
ご飯が終わると、女の子は男装し、男の子は女装して、顔を白塗りし、タバスキの時殺した羊の皮を缶などに張り付けた手作り太鼓を叩きながら、タマハリにしか歌わない歌を歌って街を練り歩きます。
去年はすごいね~~って写真を撮って遠めに見ていたんですが
”何やってんのジャトゥ~行くわよ!”っと男物のセネ服を着せられ。
”え!?私そっち側!?あのっ私32歳なんですけど・・・”と言う言い分もあっさり流され、近所にかりだされる事に。
私たちのグループは幼稚園児2名小学生2名中学生2名の7人編成、”変な日本人が混ざってるぞ!!こりゃ面白いっ”とセネ人も快く米やお菓子をくれます。
一軒一軒入っていって 歌って踊って・・・なぜかセネガルで流行りのタマハリとは関係ない”ユーザー”まで踊らされてくったくた。
22時の時点で私はギブアップして帰ってきました。
この後は、私、本来のポジションの子どもに飴でもあげる側に回ろうかと思います。
結局、私たちチームの稼ぎは 米2キロ弱、ビスケット、お金950FCA それをみんなで山分けしました。
”ジャトゥ~はよく働いたからハイ250FCA(50円)ね!”と私にまで分け前をくれましたよ。
”みんなで分けてね~。”と寄付しましたが、貰ってもいいんじゃないかと思うほど我ながら良い働きをしました。
幼稚園の近くだったので 何件も生徒のいる家に行ってしまい”男装までして何やってんのよ~~ジャトゥ~!!!”って保護者は大爆笑、子どもは大喜び。
楽しかったです。
もうすぐ夜の11時ですが、家の外では太鼓の音が鳴り響いています。
去年は深夜を過ぎてもやっていたような・・。
でも明日は休日だから、思う存分夜更かしするのかな?

近所同士の関係が密で、誰でもウェルカムなこの国ならではのいい文化だなぁ~と思いました。

セネガル好きや~~~~~~~~~~~~~~。帰りたないぃ~~~~~。

2011年11月18日金曜日

タリベの生活みてみよう②

幼稚園からの帰りを徒歩にしてみたら、 3つものダーラ(タリベたちが住む家)がある事に最近気づいた私です。

ダーラによってタリベの生活もルールも少しずつ違うようですが、今回は私が通っている所のタリベたちの様子を紹介します。
朝はお祈りをみんなで済ませて町に托鉢(主に朝ごはんをもらう目的)に出かけます。
病気の子は部屋で寝ていました・・・(でもご飯食べ損ねちゃうよね)

だいたい一日中自由なので一番暑い時間は日陰で休んでいるか、ダーラの前でサッカーなどして仲間と遊んだりしています。

食事の時間になると町に出かけお昼や夕食を済ませて戻ってきます。

夜は、コーランの本の切れ端をノートに写して自主勉強をします(ノートは木で出来ていて何度でも洗って使えます)大きい子はきれいにアラビア語が書けました。
                                              
 ダーラはコンクリで出来ているものの穴があいていて吹き抜けで、


 夜は8畳くらいの暗い部屋に10人ものタリベが寝ています、10人に対してマットラ1枚、ござ1枚、蚊帳が1つしかありません・・・。なのに全然帰ってこないセリン(ダーラを取り仕切っている先生)の部屋はちゃんと1つ確保されており、ベットも蚊帳もついていました。
2011年はカオラックへの大規模な蚊帳配布があったにも関わらず・・・ダーラには全然届いていませんでした・・・どこに吸収されているんだ!?ここに配らないでどこに配る!!!!!!

 18歳の一番年上のタリベがコーランを言わせて先生役をしている事もありますが、タバスキ前は1カ月休みでタバスキ後も、休暇だとかいって、まだ一回くらいしか授業をしているのを見た事がありません。最近は18歳のお兄さんタリベすら里にかえっているとかで、なんと5歳から13歳くらいの小さな子どもたちだけで暮らしています。

 子どもたちは大きくなったら近所の人たちに声を掛けられて家具やさんになったり、自分で選んで仕立て屋さんに弟子入りしたり、市場で何かを売ったりする人になったり、親戚が引き取ったり、家に戻ったり、出来のいい子はセリンになったり、マラブーになれる道もあるんだとか・・・。確かに15歳以上になるとタリベの数が一気に減るのはそのせいのようです。
大きくなったらマラブーになってお金持になるんだ!と夢を語っている子もいました。



 ・・・ところでヨーロッパなどのNGO,赤十字から時々届く救援物資(使用済みの服や靴などの寄付)はコンテナを乗せた船が着いた瞬間、市場のおじちゃんたちに中身もチェックされないままに箱ごと安い値段で買い取られていきます。
そして、市場に商品として並ぶのです。
(去年市場で買った800FCFA=160円のクロックスはこれだったのか、と今になって気づく・・・・。)
もちろんそれをタリベが買うわけもなく・・・・、いつになっても裸足のままです。
こういう物資が本当に必要な人たちに全然届いていない現実があります。

時折ベットやベットマットのように大きいものも届く事があるそうですがそういう高価なものはすぐに権力のある関係者の手に渡ってしまうとセネ人は言っていました。

 お金を寄付しても、物を寄付しても、本当に必要な人の所に届いていなければ意味がない!援助の仕方の見直しも必要ですが、まさに私たち協力隊は一番いるところに物資を直接投入できる存在なのかもしれないなぁっと、今まで物をあげることに抵抗があった私も考えが変わりつつあります。
物をあげればきりがない!けれどタリベは“お腹がすいた”といった私に自分がもらった托鉢のご飯をさしだしてくれました。
タリベは分けてくれるのに私は何もしないって・・・。

タリベという存在が身近になってから、何か出来る事があればやるし、あげれるものは出来る範囲であげようと思うようになりました。

必要なところには援助が必要です。

 一番暑い3時ごろよれよれと歩くタリベに水が飲みたいと家の前で呼び止められました・・。
家にいれてお菓子と水を出すと嬉しそうに食べていました。以前だったらしなかったな。


名前は”モドゥー”5歳です・・。
昼ごはんを食べ逃したそうです。

”お腹がすいている時や困った時はいつでもおいで”と自然に言葉がでてきた。
それはいつもセネ人が私に言ってくれている言葉と全く一緒でした。

そんな事をしたらこれからどんだけのタリベがうちに来るかわからない、と少しおびえていたのですが、時々水をもらいに来る子供は増えたもののそんなに前と変わりません。
(自分が家に最近いないので気づいていないだけかもしれませんが・・・)

そしてそのタリベが出ていくと、入れ変わりに当たり前のように入ってきて、水をもらいに来た奴が








こちらは”犬タリベ”

野良犬のハエちゃんです、キュンキュン言って水をくれとせがむのであげると容器に鼻を全部突っ込んで飲み干して昼寝に入りました・・・。

確かに昼間の外は日陰すらなくて暑いもんね・・・避暑地になるのも解る気がする。



ついでにこの子は夜行性の・・・



”ハリネズミ タリベ” 完全に住みついています。


・・でも・・・おやっ!!??こちらは!!!

確かこの人たちは自分の家があるはずなのに・・・。









こちらは”ジャポネ タリベ”

人の家で ご飯食って ネットやって グダグダしております。
(日曜日やけどもやな・・)

好き勝手やってるように見えますが一番手前のYちゃん曰く”今教材作ってるのよ~”
だそうです。

はいっ?そのようには見えませぬが・・・・。

私の家は休憩所かいっ!!

2011年11月13日日曜日

遊びも全力投球!

新隊員が先日来ました。
カオラックメンバーはずっと新隊員が来るのをまっていたのよ。

なぜなら・・・
↓これをやるため





















これキュートン。

おもろカッコイイ!!っということで一目見て気に入る。
”あぁ私たちカオラック5は人・・・でも新隊員がきたらできるね~”
ってみんなで心待ちにしていたのです。

夜に集まって3回くらい練習し、寝起きからの撮影です。
練習してる時から笑いすぎて死ぬかと思いました。
たまにはいいでしょ?(たまにじゃないか・・)
くだらない事にも力を抜かないで遊ぶ。
これ重要。
みんなの心が一つになりました!?
(新隊員がどう思ってたのかは不明ですが)
100人余りいるセネガル隊員ですが
カオラックは一番仲いいですっ!っと本人たちは思っている。
少なくとも私はこの任地とこの任地の一人ひとりが大好きです。
人間関係がよいと活動もよりうまくからいいのです!!
楽しいし、助け合えるし、仕事も進む!
一石二鳥
おまえ何歳やねん!?っとか聞かない聞かない・・・。

実物のキュートンはこちら↓
http://www.youtube.com/watch?v=aAF6tt97Yy4

2011年11月8日火曜日

タバスキ(犠牲祭)=フードファイト羊編

セネガルで一番大きな行事タバスキがやってきました。
ここ一カ月ぐらい”羊を買うお金を貸してくれ〜〜”っといつも以上に金の話ばかりしてくるセネ人にうんざりもしましたが、いよいよタバスキ当日!
羊にとっては大量虐殺の日でしょうか・・・。


9時に金持ちの大家さん家に行くと、なんと4頭のどでかい羊が待っておりました。しかも一頭一頭がでかい!!!


羊解体の流れ
(一年前グロい写真をたくさんのせたので今回は省略しておきます)

①男性&男の子が嫌がる羊の足を縛って寝かせる
②羊を買ってきた主人が首にナイフをザクッと入れて羊君を葬り血を抜く
③皮をきれいにはぐ
④お腹を切って内臓を取りだす
⑤足や首を切断して肉を切り分ける
⑥取りだした肝臓をすぐに焼いてみんなで食べる
⑦残りの肉を女の人が調理する

ちなみに2週間前にカオラックに配属されてきた新隊員君は②の所で気分を悪くしギブアップ・・おうちに帰って行きました。大丈夫だっただろか・・・。

あの解体を見た後すぐに、わーい肉だ〜〜っと肉にかぶりつける自分・・
セネガルで成長したなと感じた瞬間です。

”ジャトゥ〜はいっこれあなたの仕事ね!”
っと与えられたのは何と・・・
内臓用タライに並々入っている、ビラビラの何かをピンクの何かとセットにして適当な大きさに切り、腸でしばりつけるというすごくエキゾチックなお仕事でした・・・・。


まだ羊の温かさを感じながら・・・今まで触ったどんな面白いものよりすごい感触が体験できました。保育用語でいう感覚遊びですね。
保育では取り入れられないので私が代表して堪能しておきましたよー。



本日のメニュー。




朝一番;羊肝臓!
その後;リブ肉BBQ
昼;焼き羊&パン
夜;焼き羊&ヤッサソース

”食べろ!もっと食べろ”っといって口に運ぶとまた肉を手に握らされるわんこそばならぬわんこ羊をし、拷問を受けてるのかと勘違いしましたが、セネ人は”今日残った肉を明日も明後日も毎日食べるよー毎日食べに来なさいね!”っと言ってきたので目をそらした私です。ゲップ。
出来ればしばらく見たくないな・・・・


解体された自分の足と皮を首が眺めておりました。
シュールな図に思わずパシャり・・・。


今回も命を分けていただきました。

毎日食べている肉のすべては、もともと命あるもの。
当たり前なんだけど忘れがちな大切な事を再確認した一日でした。

羊君ごちそうさまでした。あなたの肉は温かくて美味しかったです

2011年10月28日金曜日

タリベ実態調査!

幼稚園の帰りいつもと違う道をぶらぶら歩いていたら子どもたちの声が・・・引き寄せられるように、行ってみるとそこはタリベの学校(兼おうち)でした。
タリベたちが住んでいる家の事を”ダーラ”と呼びます。

中でコーランを唱えている子どもたちと先生役をしている年上のタリベがいたので喋りかけて無理やり友達に・・・・。これでタリベの事をもっとよく知れる!!
幼稚園からすぐ近くだし、13時に仕事は終わってしまうから、午後はタリベの学校に入り込んで実態調査をしてみようかと・・・相手の状況を知らなければ何をしていいかも思いつかないし・・・(小さな一歩!?)


教室には誰もいなくて年上のタリベたちと小さな子だけ・・
どうしたの?って聞くと”今日は木曜日だけど俺たちにとっては日曜日なんだーだから休み”と言っておりました。
それじゃ丁度いい!っと言う事で居座って喋っているとスイカ屋さんが・・・
スイカに群がるタリベと近所の子供たち!小さなスイカは100FCA(20円)で買えるんだって。
みんなが托鉢でもらってきたお金でスイカを買う先生タリベ(ここでは一番年上の17歳タリベが先生とよばれてすべてをまかされていました)そしてスイカを買って年上の子たちで食べ 私にもハイって渡してくれました。

えーーーーーーーーーーーーーー!!!
物乞いしているタリベにスイカをおごってもらうなんて・・・出来ない出来ない!!!
”いいよみんなで食べてっ”と言うが小さいタリベも受け取らない、みんなでじっと私がスイカを食べる姿を眺めている・・・・・・。
セネガルでは年功序列や力関係がはっきりしているので、私が小さなタリベにあげたからといって年上の子たちが私にすすめているものを受け取る事はできないのです。

少し食べて お腹いっぱいっと言って(←結局タリベにスイカを御馳走になる私)
地面に置くと我先にとちっちゃいタリベ達がスイカをとってむしゃぶりついていました。
よく白いところまで食べる人がいるけれど白いところを通り越して皮の緑のとこまで食いつくしていました・・・。お腹へってるんだね・・・。

その後、一人のタリベに家の中を案内してもらいました。
コンクリで出来た家の中は窓もなく真っ暗・・・もしくは壁が壊れててそこが吹き抜けか・・
勉強部屋1つ 寝室2つ マラブーの部屋一つ 先生タリベの部屋1つです。
”ここは寝るところ・・10人寝てるよ!と見せてくれた部屋は6畳ぐらいのコンクリむき出しの部屋で、薄っぺらいマットラ一枚とござ一枚そして蚊帳2つがぶら下がっている・・・どうやって10人寝ているのか想像できません!!!タリベ学校に泊まりこもうと思っていた私の意志はここで折れることに・・・・。
日本の刑務所とかのほうがよっぽどましなんじゃ・・・。

その後お祈りの言葉(呪文!?)を教えられ明日までに覚えてこい!っと言われました。
”お祈りしてなかったら死んだとき神様に叩かれるんだよ!ほんとだよ!”と真剣に17歳タリベに説得され・・・・神様が叩いてくるとかそんな図想像できないな・・と思いながらも彼らの言われるがままにメモを取ることに。
お礼に日本語を教えてあげるとタリベたちはいつか日本に行きたいから!っといってアラビア語で一生懸命、単語を書き留めていました、”ごはん ちょーだいっ”っとか”お金ある?”とか・・・日本で使う機会あるのか?彼らの知りたい単語はタリベ目線で面白かったです。

お昼食べていきなよーと言われたので一緒に待っていましたがなかなか来ない。。。
どこからも来ない・・・
”ねぇ お昼ってどこから来るの!?”って聞いたらみんなが食べた後のご飯を集めてまわって、タリベ缶に入れて(タリベが托鉢の時に、お金とか、米とか、砂糖とかいれるボール)色んなとこから持って帰ってくるんだよ~~~~~だから チェブジェンだってだって、マフェだって、なんでも好きなものが食べれるよーーーー。だって。

タリベが持ち帰ったわずかなご飯を、スイカのようにタリベに見守られながら食べるのかと思うとぞっとして・・・・あっ!!私帰ります!!”っといって退散してきました・・・・。
この分け与える精神半端ないな。私も心を入れ替え見習いたいと思います。


タリベたちの様子を少しずつビデオに撮って発信していきます。
今回はPart1
タリベたちの自己紹介です。どーぞ。


2011年10月27日木曜日

首都のダカールに行こうと家の前でタクシー待ちをしていたらちょうどタリベが出勤してきた。
いつもたくさんの石と一緒にトラックに積まれてやってくるか ロバの馬車(ロバ車!?)に載せてもらってくるか・・・・色々だけれど今日も大量のタリベがロバシャレットから降りてきた。

よく見ていると一人すごく体調が悪そうなタリベが・・・12歳くらいだろうか・・・他のタリベが支えるも弱り切っていて歩けず・・・一番大きい子が背負ってみるが 気分が悪いらしく嘔吐のたびに地面に下ろされている・・・。

※タリベとは 5歳くらい~18歳までの男の子たちがイスラム教を学ぶためにマラブー(日本で言うとお坊さん!?)に預けられてタリベ学校と言われる所で集団生活をしている。
だが実際は(学校にもよるが)イスラム教やコーランを学んでいる時間はほとんどなく 朝から日が落ちるまで物乞いをさせられている。
一日のノルマは300FCA~500FCAで恵んでもらったお金はすべて授業料、生活費だと言ってマラブーが受け取る。
しかしご飯が学校で出るわけではなく、タリベは朝も昼も夕方も民家の余りご飯をその場その場で貰っていて、栄養状態もよいようには見えない。

タリベのいでたちはボロボロでブカブカの服をまとって素足、トマト缶やプラスチック容器をわきに抱えてそこにお金や、米や、色んなものを恵んでもらう。ストリートチルドレンのようにも見える。

彼らの多くは地方都市からやってきていて親はコーランを学ばすためにマラブーに自分の子を使えにだすとでも言っているのだがうすうす、物乞いをしているだけの現状には気づいているようだ。


貧乏な家庭の場合、女の子は家事手伝いに使われるが男の子の場合食いぶちを減らすためにマラブーのもとへやるという選択肢があるのだ、遠くからやってきているタリベ達は自分の意志では家に帰る事すらできない。

そんなタリベが病気で立てなくなっている状況にもかかわらず、物乞いして来いとシャレットに乗せられたのか!!!!!???

私たちの目の前で座り込むタリベ、、、一緒にいたセネ人のプティがその子をだき抱えて向かいにある診療所まで運ぶ・・・。心配そうに見つめる他のタリベたち・・。

診療所につれていくもタリベだからかもしくは本当なのかは解らないが、病室が満室だからと 看護師たちは診療所の外の木陰の地面にタリベを寝かせる。
熱を測ると39度、他のタリベいわくもう3日も前から体調が悪いそうだ。

タリベはぐったりして抱っこしてもだらんとして何も言わない・・・
重症のマラリアかもしれないと看護師がいいマラブーか先生をよんできなさいと子どもたちにいうが誰もきそうにない。

一緒にいたYOUSSOUがお金を渡してこれでちゃんとした看病をしてあげて下さいと看護師にお願いする。
それ以上私たちも何もできないので木の下に横たわっている病気のタリベをおいてダカールへ・・・・。

それでも気になって気になって仕方なかった。

タリベは病気になってもほっとかれるのか!?こんな蚊だらけの場所で悪条件のもと暮らしていては、いつマラリアになってもおかしくない。早い段階で薬を飲めば助かるのに、薬を飲まないで完治できるのか!?
タリベは病気になったら死ぬしかないのか!?

もし 私がマラリアになったらまず病院に行って診断後すぐ手持ちの治療薬を飲みダカールに上京する。首都の医者でもう一回検査をしてもらい隊員のドミトリーで休養するだろう。

産まれた場所が違うというだけで、こんなにも人間は平等なんかじゃない!!!

日本の子供の多くはちょっと咳がでるからと病院に連れて行ってもらったり、過剰なほどきれいな場所でかわいがられてかわいがられて育っているのに(みんなではないけど・・)

親元離れたところで病気になり砂道に寝転がらされていてはどんなに心細いことだろう。
例え死んだとしても親元に連絡すら行かない場合もあるとか。

カオラックにはたっくさんのタリベがいる本当にたくさん。
タリベとすれ違わない日なんてない。

こんなにたくさんのタリベがいるのに・・・何もできないちっぽけな自分。
何しているんだろうか私。

などと色々 本当に色々なことを思った。

カオラックに帰ってきて診療所の前を通っても怖くて勇気がでなくてあのタリベがどうなったのか聞けなかったのだが聞かなければそれはそれでずっと気になる。
今日診療所の前を通った時思い切って看護師に話しかけてみた。

看護師は“あのタリベマラリアじゃなかったんだよー。元気になって戻って行った”と言った。
それを聞いたとき胸が締め付けられるように嬉しかった 手を握って”ありがとうありがとう”って言ったら、”あの時運んでこなかったらきっと大変な事になっていたよ。注射をして2日くらいでよくなって戻って言ったけど、本当に危険な状態だったよ こちらこそありがとう、あの2人にもありがとうって言っといてね”っと看護師は言ってくれた。私は見ていただけだけなのに。

今回の事は”タリベが元気になってくれてよかった、マラリアじゃなくてよかったね”だけでは済まされない事だと思う。

ショッキングな出来事を目の当たりにして思う事がいっぱいあった。
何もできない小さな私でも、何か出来る小さな事を見つけてやって行くしかない。
任期残り5カ月です。

タリベ学校にて

2011年10月26日水曜日

新学期 やっとやっとやっと始った・・。

えーっと 前年度が終わったのが6月末・・・ということは約4カ月ぶりに幼稚園が始まりました。休み長っ!!!!!

まだ全員じゃないけどだいぶ子どもは増えてきました。
しばらくぶりなのでちょっと人見知りをして私の様子をうかがう子どもたち・・。そのうち服が破れるくらい引っ張られてよじ登ってきて歩く事も出来なくなるから今を楽しんで優雅に写真なんぞ撮ってみたりしています。



はじめて見る外人を見て怖がって泣く新入園児もいるけれどやっぱりみんなかわいいです。

私 今年は”ゴミはゴミ箱に!”をっ徹底的に叩きこみますよ。



クラスに入ってみると先生たちは壁面飾りに夢中で子どもはござにほったらかし・・(まぁいつもの事ですね!)


でも嬉しい事が・・”去年一緒に作った日めくりカレンダーなくなってるよ・・どこにやったの?”って聞いたら”誰かが持っていってしまったんだけど・・・”
”でも今年は私自分で作ったのよ!!”っといって見せてくれました。
すごい!!!!!!!私がやった事覚えていて自力で材料を集めてつくっていました。こんな嬉しい事はないですね。
ちなみに去年私が作ったのは
これ↓









で今年ハディ(先生)が作ったのはこれ


ん!?

絵がすごくオリジナル~~~!特に左から2番目のなんて・・・”おぬし何者じゃっ!!!”って絵に向かって喋りかけてしまったけど、これは日本人のセンスじゃ描けないですよ!!!ただ者じゃない何かです・・・きっと。
すばらしい!!!

そして今年は去年から目をつけていた先生の中でもやる気がある先生を自分から捕まえて
”今年は一緒にやろーーよ~~~!!”
一人で保育するんじゃなくて私4月に帰っちゃうから2人で考えた保育を実践しながら私が帰った後もあなたが継続して幼稚園でやっていってほしいの!!ってめっちゃ説得し、園長先生にも”私、今年はあの先生と組みます!”と強引に宣言!!みんな好きにすれば~~って快く承諾してくれました。
やっぱりベテランの先生と組んでも今までのやり方を崩さないしマンパワーに扱われる事が多いけど若くてこれから学びたいみたいなやる気のある先生と組むと あれもしたいんだけどこれもしたいんだけど・・と色々話してくれるのでとてもやりがいがあります!!ヤッタネ今年はなんだか出だし好調です。

さらにJICAの支援経費を使って70冊増刷したデコレーションブック
(セネガル先生たちは絵が上手じゃなくていつも描いて~っと頼んでくるし、擬人化されたかわいい塗り絵などが全くないので先日帰国した幼児教育隊員のゆいなちゃんと一緒にぬりえ本を作っちゃいました)が完成したので先生たちに見せると”これはすごい”っと大絶賛!
”そうだ!年長園児全員分コピーして一人ひとりに配って園児の塗り絵帳にするわ”っと言ってくれました!!!

ゆいなちゃん!!2人で作ったデコレーションブックが年長の教材になった~~!!一人一冊ずつ園のお金でコピーしてくれるんだっって!!!

めっちゃめっちゃ 嬉しいです。

デコレーション本作製風景


100ページにわたる塗り絵完成!


たくさんの子どもたちが使ってくれると嬉しいな。

2011年10月20日木曜日

検証:家の中で昆虫採集は可能か?

雨季が終わりかけている今日この頃 秋の風は感じないけど家の中からコオロギの鳴き声。どうやら台所からのようです。
・・・ってか最近昆虫いすぎじゃない?
というわけで家の中の昆虫探しにレッツゴー!

注意:虫嫌いの人は見ないで下さい。




※今回、いっぱいいすぎる蚊とハエと蜘蛛とゴキブリは省略です。

それではいってみましょ~~~!!!

エントリーナンバー①蛾@キッチン
いや~びくともしませんねぇ~



エントリーナンバー②カマキリ@キッチンの流し
カマキリとキッチンのコラボがミスマッチで素敵です。



エントリーナンバー②カエル@風呂場
最近カエルの量半端ないんです。どうしたもんでしょうか・・。
写真を撮った後、手で捕まえようとしたらびっくりしておしっこしました・・・。蝉みたいだな・・・・。



エントリーナンバー③コオロギ@食卓
この子がリンリン歌ってたわけね・・・。



エントリーナンバー④変な虫(3種盛り合わせ)
ちーっこいのと、黒いのと、壁についてる灰色の・・・・。
3匹まとめて”ハイチーズ!”



エントリーナンバー⑤カナブン@寝室
日記を書いている途中に”俺を忘れちゃー行かんぜよ”っと向こうから飛び込んできました。



寝室で昼寝してるとバリバリバリっ!!と大きな物音
これは大物!!!!っと思ったら
あれ??????????????????

エントリーナンバー⑥昆虫ではないけど・・・・
野良犬のハエちゃんでした(耳にいつもハエをつけているから)


ってか網戸破って入ってきたでしょ・・あなた・・下の方やぶれてるじゃん・・・・・。”これでより多くの昆虫が入ってくるね”ってことなのか?

オイオイこの網戸どうしてくれんのさっっ。



ハエちゃんを追い出すついでに外も見てみましょう!

外その①猫@庭
常連さんです



外その②豚@家の目の前
これを見て最初に思うのは”美味しそう。捕まえて食べたい”ですが何か?



外その③牛の群れ@家のすぐ横
たっくさんおりますな・・



外その④馬@木陰
”馬車の仕事も楽じゃないなぁ~~”と言いながら休憩中。




っというわけで今回の検証結果は・・・・チャペル

”家の中でも昆虫採集は可能である”

でした!メデタシメデタシ!

2011年10月18日火曜日

ゴミの町でゴミ拾い

 カオラックはゴミの町として有名!
旅行者向けガイドブックのロンリープラネットにもカオラックは人が住める街じゃない!なんて書かれてあったのですが・・・。それが私たちの町。
セネガル人はゴミを道に捨てる事をさほど悪い事とも思っていないので、ゴミはそこらへんに捨てる、ゴミ処理場はない、だから掃除もしないという負のトライアングルが出来上がっているわけで・・・・。
何とかしたいでもどうにもならない・・・と思い続けて1年半
まず街ごと燃やしてきれいにしてから1から街を・・・なんて思ってしまうほど汚いです。

そんなところに清掃活動の話が舞い込んだので参加してきました。
今回は
・JICA(日本青年海外協力隊)8名
・KOICA(韓国青年海外協力隊)8名
・セネガル人のプティ
の17名でカオラックの中でもゴミの中心部・・・いやゴミのメッカと言っても過言ではない市場のタクシー乗り場周辺を掃除しました




KOIKAが持ってきてくれたビニール手袋を装着しビニールを片手にひろうもそこはゴミのパラダイス!
道がゴミで出来ているためすぐにビニールは満タンに・・・



ゴミ捨て用のコンテナがあるのだが回収されていないのかコンテナの周辺にゴミがあふれすぎてその通り全体がゴミ箱のようになっている・・・。

何してるんだ~~!?うちの店の前も拾ってくれよ!と見てるだけなくせして指示までしてくる奴や、セネガルはこうなんだからゴミ拾いなんてしなくていいんだよ~という奴、これ見よがしにさらにゴミを捨ててくる奴と拾ってるゴミに唾を吐きかけてくる奴がいて、ボンドは殺意に震えておりました。
一体誰の国やねーーん!!!ばかやろ~~ぅ!っと思うことも多々ありましたが・・・。セネ人のプティがなぜ清掃活動をしているのか、ゴミ拾いがなぜ大切な事なのかを説明してくれるというナイスな働きをしてくれていました。
私たちが散らかしたゴミを外国の人たちが拾ってるのよ!自分たちもきれいにしないと!っと手伝ってくれるセネガル人もいたり




タリベもお手伝いしてくれました。
ゴミは多すぎて回収しきれなかったけど色んな人に私たちの姿を見てもらうことで何か感じてくれたセネガル人はきっと多いはず・・・。
毎月続けていく事に意味があるんじゃないかな。




KOIKAとJICA,違う国籍の同じ志を持った仲間
協力しあえばなんだってできるんじゃない!?
次回はセネガル人をもっと巻き込んで行きたいですな!

2011年9月21日水曜日

じわじわと変わっていく常識・・・

ご無沙汰してます!
7月に長期休暇に入り3カ月!


任地で音楽祭や




日本祭りがありました








それ以外はモロッコとスペイン旅行に出かけていました。
今度そのレポートもしたいと思います。

”セネ食いらない、セネ人うるさい、セネガルのば~~~かっ!!”と心が荒れ狂っていたところの任国外旅行(そういう時期は誰にでもあるもんですよね!?)・・・・すっごくリフレッシュして帰ってくる事ができて、やっぱここが一番ええなぁ~~と思える今日この頃です。

...ところでこないだトイレから出てきた隊員が”音消しに水を流したら水が足りなくってトイレットペーパー流れなかった~~”といって戻ってきたんです・・

そこでハッと気づく”そうだ日本では音を消すために水を流してたんだった!!”そういうどうでもいいけど日本で当たり前だった事を忘れて、気づかないうちに自分の習慣が変わってしまっている事に驚く・・・。
しかもじわじわと感覚が変わってきているせいで自分で変だと気づいていない事が多いので怖い。
足で踏みつぶしたゴキブリは素手でつかんで庭に投げる・・とか・・下着はつけないとか・・トイレのドアは閉めないとか・・約束した時間に家を出発するとか・・・。

同期がシャンプーだけで体も全部洗うのが当たり前になっていたり、”鏡を久しぶりにみた~~~”と言って喜んでいるので、今までどうしてたのか聞いたら地面に映る自分の影を見て髪の毛をセットしてた・・・とかほざく人がいたり・・・。
同任地の隊員はヘアーワックスの変わりに髪に石鹸つけてまとめてるんです!っていいながらレストランに現れたり・・・。

人が当たり前のようにしているおかしな事で驚く事多いけど自分もどこかで何か驚かれているのかもしれないな・・・気をつけようっと・・・。

同任地でお世話になった隊員2名がもうすぐ帰国します。
本当にメッチャ寂しい。日本に帰っても頑張ってね~~~!
残された5人でカオラック盛り上げていきましょー。




という私も残り6ヶ月の任期になりました。
学校始まったら悔いを残さないように全力投球で頑張ろーっと!

2011年7月3日日曜日

激怒そして号泣

 昨日、ジャイアン(←私が組んでいる本当によくない年長の先生)が居る幼稚園にいつものように出勤・・・・。
子どもたちが全員登園し終わったところに出勤してきたジャイアンはいつものようにお手伝いさんとおしゃべりに夢中、子どもたちは廊下で椅子に座って待ちぼうけ。

仕方なく年中の先生を誘って子どもたちとクラスに入り次の日の終業式で歌ってと頼まれているセネガル国歌を子どもたちと練習していたら、お客さんが現れた・・・外でしゃべっていたジャイアンはお客さんにいかにも自分がちゃんと働いているように見せかけようとして突然部屋に入ってきた。
そして私と年中の先生が子ども達の前で椅子に座って保育しているのに
“ジャトゥー(私のセネガル名)立ちなさい”っと言って私をどかせ自分がその椅子にドカリと座った。
さらに“ジャトゥーもう一個いす!”っといって顎で外にある椅子を指す。
私が切れながら椅子を取ってくるとお客さんがそこに座る・・。
途中で入ってきてさらに保育するようなしぐさを見せつけているが 私はまともに保育しているところをこの1年3カ月一度も見た事がない。

“ジャトゥー何してるの?そこらへんに座れば?”と顎で示されたところは子ども用のいすがずっと使われずほこりまみれになって積まれてある教室のすみ。

なんだか積もり積もったものがドカーーンと爆発して “もういい帰る”といって荷物を持って出て行く私に “どこ行くのまちなさいよ!!”っと呼びかけられるがそれも無視・・

早歩きで外に出て行くと ジャイアンが走って追いかけてくる “まって!何で帰るの?あなた明日の終業式の準備が今日はあるのよ手伝いなさいよ!!”

・・・・なぜ私が怒っているか理解していない上にさらに私をただの人手としてここにとどまれと言ってくるジャイアンにどうしようもないくらい腹が立って “あなたみたいな悪い先生は見た事がない、子どもに保育もしないで何が先生よ!いつもしゃべって寝て休んでるだけなのに今日のあれはいったい何!?私はこんな幼稚園もう二度とこないし今から教育省にいって私のカウンターパートに話を聞いてもらう!!”と大声でどなったら、教育省に行かれてはまずいと思ったのか急に態度を変えて“本当に悪かったわ!私たちは友達でしょう?だから話しあいましょうさあ戻って”と腕を掴まれる・・
でも いつもそういって何も変わってこなかったジャイアンだ。
私は無視をして早足で進もうとするとそこにいた男の人も私をはがいじめにする。
腕に爪のあとが残るくらいすごい力で取り抑えられながらも、がむしゃらに振りほどき(カンフーを習ってた時に教えてもらった両腕を掴まれたらどうやって逃げるかという方法がまさかこんなところで実践される事になろうとは・・・・。)
抑えつけてる人を蹴飛ばしジャイアンを突き飛ばし(自分の方がよろけたが)走って逃げてIDEN(教育省)に駆け込んだ。


私のカウンターパートのジャオさんはものすごく忙しい人でその日も大量のお客さんが部屋にいて入れなかったので外で待っていたら、なんと幼稚園からジャイアンたち3人の先生が追いかけてきた(先生全員がここにいるとう事は幼稚園に残されてる子どもたちは一体どうなってるのだろうか!?)
“とにかく園に帰って話し合おう!教育省の人に相談するのだけはやめて!”といって私を説得にかかったが、“悪いのは誰なのよ!!!全部言うまでは帰らない”といって座り込む。これはダメだと思ったジャイアンは自分からジャオさんのところにいっていいわけを始めたが彼はとても話が解るひと・・
“一体何があったんだ!ジャトゥーだけにして後はみんな出て行きなさい!”といって、話を聞いてくれる


いつも授業はほとんど行われていない事、勉強ノートもお絵かきノートも子どもにはやらせないで先生が適当に書いてまるで子どもがやったように見せかけている事、何度言っても協力してくれない事、私が授業をすると買い物に出かけてしまう事、今日、まるでお手伝いさんのように扱われて自分が怒った事、先生たちにやる気はないが 子ども達の為にと思って今日までやってきたがもうこれ以上は無理だから他の園に変わりたい事を泣きながら全部話した。

するとジャオさんは外に居た3人の先生を呼んで“自分も日本に行った事があるが、そこに行くだけでも大変な時間と労力がいるんだ、ましてや日本から家族や友達と離れて言葉も通じない国に一人で来る事がどんなに大変なことなのか想像した事はあるかい?
私は日本の保育のよいところをいっぱい見たのでそれをセネガルに広めることは重要だと思っている。
先生たちはボランティアと協力してセネガルの教育をよくしていかなければならないのではないかな?そのボランティアがせっかくあなたたちの園を選んでくれたのにそれを生かしていない事は間違っているのではないか?という事を諭した。

先生たちは“そうだわ!私たちはこれからも色々と手を取り合って保育をしていかなければならないわ!!”・・なんて調子のよい事をいっていたが・・きっとジャオさんの前だけだろう・・・・。

そして私にも “あなたにこの園を紹介したのは私だからそれは私の責任だ。
本当に申し訳なかった。
来年度は違う幼稚園に行ってもいい。けれども明日の修了式は 子ども達もジャトゥーと歌を歌うのを楽しみにしているし、1年3カ月もいたところなんだから最後のお祭りには参加して先生としてちゃんとけじめをつけて今年度は終えるべきだ、私は今まで幼稚園の修了式に参加した事は一度もないが明日はあなたと一緒に行ってあげるから式だけは出よう。”と言われる。

こんなに偉い立場の人が私のために一緒に足を運んでくれるというのだと思うと、さっきまで“誰が何と言おうと私は明日も行かない!!”っと思っていた気持ちもおさまり、子どものためとそして自分は先生なんだから最後の終業式まで責任を持って出るべきだと私も思うようになった。
そして“明日の式には必ず来てね!!”と無理やり私の手をとって握手をし先生たちは帰って行った。


色々なセネガル人を見てきたが、ジャオさんはさすがだ。
私がすごく感情的になってまくしたてた話も一旦冷静に聞き入れ、同意してくれながらも、先生たちに怒り狂ったり、怠惰だった部分を責めるという方法ではなく私が置かれている立場と先生たちが取るべき行動を示し、そして私にも最後の式に出る事を説得した。
上に立つ人ってこうじゃなければな!!なんて感心してしまったが・・・。


すごい言葉をののしってさらに突き飛ばしたジャイアンとどうやって顔を合わせるのだろうか・・・・約束をしてしまった以上、行くという選択肢しかないが非常に心が重くなった。



そして今日・・・
行きたくないーーーとダダをこねる自分の心と闘いながら修了式のお祭りに行く。
すると私が拍子抜けするほどに “よく来たわね!ここに座ってね!”“ジャトゥー服が綺麗ね!!”っと機嫌を取ってくるジャイアン(少しは反省しろよ・・・と思いながらも 昨日の事がなかったくらいの勢いで接してくるセネ人を見てその性格が少しうらやましくなる。)

そして、ここの園長先生の“日本から来たボランティアのジャトゥーがこの幼稚園で働いて、そして色々な授業ををしてくれていることに感謝しています・・などとあからさまな挨拶から始まり、もう来ないのかと諦めかけたジャオさんも帰る30分前にきてマイクを握り続け(20分くらい)ジャトゥーがこの幼稚園で活動している事は素晴らしい。こうやって色々な事を研究しながら我が国の保育もよくなっていくだろう!ジャトゥーよ!来年も先生たちと協力して仲良くやっていきなさいね”なんてうまい事やられた感のあるスピーチをしていたが・・・・この園に来る事はもう二度とないよと心の中でつぶやく。

今日のあれは、激怒した私の機嫌をみんなでとりまくるみたいな会だったな・・・。セネ人たちは“まるくおさまってよかった”くらいにしか感じてないと思う。
私はあからさまなスピーチも対応もいらないから黙っていても自分の行いを少しは見つめなおして欲しいな・・・と思うのですが、でもまぁ卒業する子どもたちともお別れが出来たし、ジャイアン以外の先生たちにも昨日の自分の行いを謝る事ができたし、今年度最後までまがりなりにもやり遂げたからこれで気持ちよくバカンスに入れる!嫌だったけど来て本当によかったと思いました。
終わってすっきりです。



いつも嫌な事があっても どうせ言葉もまともに通じないし、セネ人だから仕方がないと言いたい事を全部言わずにいたり、すごく理不尽な事が起こっても まっどーでもいいよ。と諦めていた事ってすごく多かったから、別に腹もそんなに立たなかったんだけど・・・。
今回すっごい怒って言いたい放題言ってる自分に驚きました。新しい自分発見です。


初めて他人に大声で怒鳴って、殺意を覚えるほどに腹が立って、人を突き飛ばして、人前で泣いて、仕事を放棄しようと思って・・・・・一日でどんなけ初体験するんだと言うほどいろんな初めての事やりました。悪いとこだらけだけど、私ちょっとは本気になったか?

大人になっても反省するとこっていっぱいあるんやなー。
日々成長していくからっ!みんな・・・・見捨てんといてや・・・

2011年6月22日水曜日

成せばなる成さねばならぬ何事も(BY祖母の口癖)

  先月ですが・・・・EFI(教員養成校)での活動がおわりました。今年は2月に始まって5月に最終回を迎えました。

月2回土曜日に、これから小学校や幼稚園の先生になる生徒たちに、体育、環境教育、図工、音楽の授業をボランティアが行っています。


7年前に先輩隊員が始めたこの活動、人が入れ替わりながらも改善が繰り返されて今まで続いてきました。
去年配属されてすぐにEFIの見学に行き、フランス語やウォロフ語で堂々と自分の思っている事を伝えながら授業をしている先輩達を見て“すごすぎる!!!私には出来ない!!!無理無理無理”って思った。
 先生の卵に直接 情操教育や授業を楽しく作る方法を教えるすごくいい機会だとは頭でわかりながらも、“いつも子供相手にしている私が大人相手に授業って・・・!しかも言葉できないよ!!”っとかなりひるんでいたし“やりたくないな~~~”という思いでいっぱいだったけど・・・。
自分でやってみて失敗を繰り返して、回数を重ねるうちどんどん楽しくなっていった。
最初、出来るわけがないって思った事が出来たという喜びや、生徒たちが楽しそうに参加してくれている表情を見ていて、私も自信がついたし、やりがいを感じた。

最終日には調整員さんも見学に来てくれました。

来年もより良い授業が出来るように、先輩から受け継いだものをまた次の隊員に引き継いでいけるように頑張りたいと思います。
 やらなければ自分にはかけ離れて遠く難しいものに見え、やり始めれば案外やれるんだと気付く。物事はいつでも案ずるより産むが安しなのかもしれない。

やる気があれば何だってできる。
頑張れば頑張っただけ自分に帰ってくるものがある。そんな事を感じたEFIでした。

ともあれ、みんなの助けがなければ成り立たなかった音楽の授業。 ↓の仲間は私の家族のような存在カオラック周辺在住メンバーです。みんな本当にありがとう。




授業風景の一部を動画で・・・。掛け算の歌を歌っているところです。



2011年6月19日日曜日

拷問遠足

今学期もそろそろ終了です。

私が通ってる公立幼稚園の年長さんが卒業するということで、最終日の卒業遠足に行ってきました

計画性とか、あんまりないセネ人が企画する遠足・・・一体どうなるものかと怖いもの見たさで参加しましたが・・やはり期待は裏切られなかった!







 ”朝7時半に出発だからね!”と言われたので、体調がすこぶる悪い中、早起きして出勤・・・。

でも何時に帰ってくるのか聞いていなかったので先生に尋ねてみると”夕方 インシャーラだよ”・・・との事。

インシャーラ=神様の思し召しの通り

おぉ!早速出ましたインシャーラ!見送る保護者たちにも”夕方インシャーラに迎えに来て下さい”といってるではありませんか・・・。

しつこく“何時に帰ってくるのよ~~?”っと聞きいても、“そんなこと解るわけがないじゃないか!!”との返事・・・。

”解れよ!!!”っと心の中で突っ込んでみたり・・・”こんなざっくりでよく保護者が怒ってこないもんだ”と感心している間にも時間は過ぎていく・・・準備と子どもたちの確認にてこずり出発したのはなんとすでに2時間遅れの9時半!!

ご飯食べて帰ってくるから3時かな~~なんて言われたので 私流勘算(セネ人が思う時間×2倍)をしてみる。

9時から15時が6時間だから×2で12時間・・・っということは夜の9時か・・・

って・・・まさか幼稚園の遠足に夜9時解散はないだろうな。

”神様6時までに帰ってこれますように”と私もインシャーラに対抗して直接神頼み・・・。





 結局全校生徒の半分しか出席せず園児120人を1つのバスにつめて

昼ごはんを作るお手伝いお母さんたちと私はカール(ミニバス)にのって出発しました。



つかまっていないと椅子からずり落ちるくらいのガタガタの砂道を走ること3時間!!!(幼稚園の遠足に片道3時間の場所を選ぶ事がすでにおかしい。)先生たちも保護者ももう疲れきっったところで園児のバスが見えない事に気づく・・・・

電話をしてみると砂にタイヤが埋まって動けないからミニバズでピストン輸送してほしいとのこと・・・

”それじゃ園児迎えに行ってくるからここで降りてね!”っと下ろされた場所はここ。










”大丈夫後少し歩けば海が見えるから インシャーラ”

と言われ酔ってふらふらになっているみんなをポイとすててバスは逆戻り・・・。

バスから降りる体力も残ってないというのに・・・12時の灼熱の大地に降ろされて・・・歩いて行けよインシャーラとは・・・・。

これは体力を温存しながらじゃないと生きてたどりつけない・・・みんながそう思ったのか ゆっくりそして誰も話をしないでひたすら暑さにたえて歩くこと30分以上・・・・。

頭がくらくらしてきたところで目的地にたどり着く・・・

これで園児が到着したらまたここは戦場になる・・それまでに何とか体力を回復しなければ!!



第一陣で運ばれてきた園児が降りてくるとさぁ大変!予想を上回る大暴れ!

有り余るパワーで飛んだり跳ねたり・・・



海に行くからとみんな水着を着てきたのに入れるような所じゃなく、結局ちょっと足をつけ 既成事実用の写真をとるだけで海は終了。








あとは園長の子どもと先生たちの子どもが好き勝手水で遊んでいるのを園児が眺めているだけ・・という辛い図に・・・。



目の前に水があるのに入れないのがもどかしいのか 子どもたちは海で遊びたい!!!っと駄々をこねまくる・・・そりゃそうだよ・・・ほんと・・・。

3時間もかけてきたのに歌を歌ってるだけなんて・・幼稚園の園庭でやればいいことじゃん・・・かわいそう子ども達。

下見とかないんだよね・・ってか下見っていう単語自体ないんだろうなぁー。



一方で、お手伝いで来ているお母さんはさっそく料理(この時点で1時)私も体力がつきたので調理班に入れてもらう・・。まずは火を起こすところから・・・・








今日は大量のヤッサです。







(絶対余る!!とひと目で解ったが、本当に余って帰りヤッサ鍋を抑えながらバスに乗るはめになる事をこの時の私はまだ知らない)


 子どもは海にも入れず日蔭が唯一ある建物の下に集められてご飯までの時間をひたすらつぶす・・・(疲れて寝てしまう子も・・)







そして出来あがったのがこれ。







食べ始めたのは3時半・・・(あれ?帰宅予定の時間すぎてますけど・・)

  一仕事終えトイレに行くと10人くらい子どもがたむろして大惨事!!2人が水道の水で遊んで水浸し・・・その上を裸足の子どもたちが歩き回っていて、う○こがしたいーーと泣きながら訴えかけてくる3歳児に服を掴まれる・・・。

ご存じの通りセネガルトイレは紙とかありません・・・・最後にかやんみたいのに入ってる水で流して終了なんだけど・・・う○こということは・・・やっぱり!?洗ったげる!?

自分のは相当慣れたけど、人のまで素手で洗うの抵抗あっる~~とか思ってる暇がないくらい次から次へと う○こコール・・・。

全部のお尻を洗い終わったあと、大盛りのヤッサを出されたのだが、、食欲0な上に手で食べる気が起こらず・・。ほぼ残す。





後かたずけをしてたらあっという間にあれ6時!?

ここに来るまでに3時間かかったっという事は・・・あえて考えないようにするか。





 バスに乗り込んだのは夕陽がきれいに見える夕方・・・

帰りも来た時と同じようにカールで子どもたちをピストン輸送、私は乗ってきたミニバスで先生とお母さんたちとゆられながら帰る。

途中何度も野しょん休憩が入るが、物陰どころか草すらない平地。

さっきのお尻洗い戦争のせいでトイレに行きそびれていた私だが、家までトイレに行けないんだなと覚悟を決める。



疲れているし、揺れが激しいし、昼の残りのヤッサが大量に車内にありその匂い充満中。

とうとうお手伝いのお母さんが連れてきた子どもがもどすもどす・・・。

こっちの車でこんなありさまだったら120人乗ってるのに3人しか先生が乗ってないあっちのバスの方はいったいどんな大惨事になっているのだろうか?

っと心配になったが、どうしようもないのでまた考えないようにしてみる・・。



疲れて眠りかけていたら、なにやら”まっすぐだ””いや違う、もっと右だ”っと言い争いが始まるではないか・・・。

まさかとは思うけれど・・・!?まさかの~~~迷った!?

こんな道なき道を走ってたら迷子になるの・・解るよ・・・解るんだけどね・・・でも・・・。

いいや・・考えないようにしよう。

すると運よく道にたどりつく。一同ホッ・・・。



園到着したのは私が予想したまさかの21時・・・。

手伝いのために子どものバスに乗り込むと通路が水浸し・・・その匂いから汚物だろうな・・と想像できるも、ここもあえて考えないように努め、最後の力を振り絞って寝ぼけてる子どもを抱きあげ外に出し、忘れ物のサンダルを拾い集める事に集中。

保護者への連絡も一切なかったので(というか電話番号自体を知らない)

待ちくたびれた保護者の人だかりにかこまれるが、一斉に引き渡すと子どもが勝手に出ていって収集がつかなくなってしまうため 一人ずつ名前を呼んで引き渡すことに・・・

それでも保護者はわが子はどこだと詰め寄る。子どもはうろうろ。先生は保護者に怒鳴り散らす。

その繰り返しの作業をする事1時間・・・やっと解散になったのは22時でした・・。

幼稚園の遠足22時解散!!どんなやねん!



最後に先生たちが集まって反省会。

“バスが長くて疲れる!“っと一人の先生がいい。

“そうだそうだ!疲れたぞ!”“まぁいい思い出になったか”

 ・・・・はい。解散。

いやいやいやいや めっちゃ先生目線やし・・・もっと反省する点があるやんか~~いっ!



あぁこれは来年も同じ場所に行っちゃう可能性ありだな・・よし次回は誘われても断ろう。

と私の心の中で一人反省会をして。一日が終了したのでした。



ここはセネガル。

日本の物差しじゃ何も測れないということにだいぶ慣れていたはずなのに、どうやらまだまだ驚かされる事はつきていないようです。



日ごろ口に出して疲れたーーとかいうことほとんどないのに・・

セネ人に“疲れたか?”と聞かれて“疲れた” っと即答している自分に笑えました。

セネガル疲労困憊DAYランキング堂々の1位を飾る記念日になりました。