自己紹介

自分の写真
 ずっと 魂が呼ばれている気がしていたアフリカに青年海外協力隊で行くことが決まりました。 どんなことが待ち受けているのか楽しみでわくわくドキドキ!!!。 幼稚園の先生としての経歴 ・日本の幼稚園4年間 ・ベトナムの日系幼稚園2年間 ・韓国の幼稚園の日本人クラス1年 ・ドイツの日系幼稚園2年間 ・日本のインターナショナル幼稚園10ヶ月 ・セネガル幼児教育隊員2年間。 幼稚園の先生最高です!!!! 自分にむいてないと思ったことは何度もあるけど辞めたいと思ったことは一度もない! 子どもから学ぶこと多し! この職業に出会えて本当によかった~~~~~~~~~~~。

2011年10月27日木曜日

首都のダカールに行こうと家の前でタクシー待ちをしていたらちょうどタリベが出勤してきた。
いつもたくさんの石と一緒にトラックに積まれてやってくるか ロバの馬車(ロバ車!?)に載せてもらってくるか・・・・色々だけれど今日も大量のタリベがロバシャレットから降りてきた。

よく見ていると一人すごく体調が悪そうなタリベが・・・12歳くらいだろうか・・・他のタリベが支えるも弱り切っていて歩けず・・・一番大きい子が背負ってみるが 気分が悪いらしく嘔吐のたびに地面に下ろされている・・・。

※タリベとは 5歳くらい~18歳までの男の子たちがイスラム教を学ぶためにマラブー(日本で言うとお坊さん!?)に預けられてタリベ学校と言われる所で集団生活をしている。
だが実際は(学校にもよるが)イスラム教やコーランを学んでいる時間はほとんどなく 朝から日が落ちるまで物乞いをさせられている。
一日のノルマは300FCA~500FCAで恵んでもらったお金はすべて授業料、生活費だと言ってマラブーが受け取る。
しかしご飯が学校で出るわけではなく、タリベは朝も昼も夕方も民家の余りご飯をその場その場で貰っていて、栄養状態もよいようには見えない。

タリベのいでたちはボロボロでブカブカの服をまとって素足、トマト缶やプラスチック容器をわきに抱えてそこにお金や、米や、色んなものを恵んでもらう。ストリートチルドレンのようにも見える。

彼らの多くは地方都市からやってきていて親はコーランを学ばすためにマラブーに自分の子を使えにだすとでも言っているのだがうすうす、物乞いをしているだけの現状には気づいているようだ。


貧乏な家庭の場合、女の子は家事手伝いに使われるが男の子の場合食いぶちを減らすためにマラブーのもとへやるという選択肢があるのだ、遠くからやってきているタリベ達は自分の意志では家に帰る事すらできない。

そんなタリベが病気で立てなくなっている状況にもかかわらず、物乞いして来いとシャレットに乗せられたのか!!!!!???

私たちの目の前で座り込むタリベ、、、一緒にいたセネ人のプティがその子をだき抱えて向かいにある診療所まで運ぶ・・・。心配そうに見つめる他のタリベたち・・。

診療所につれていくもタリベだからかもしくは本当なのかは解らないが、病室が満室だからと 看護師たちは診療所の外の木陰の地面にタリベを寝かせる。
熱を測ると39度、他のタリベいわくもう3日も前から体調が悪いそうだ。

タリベはぐったりして抱っこしてもだらんとして何も言わない・・・
重症のマラリアかもしれないと看護師がいいマラブーか先生をよんできなさいと子どもたちにいうが誰もきそうにない。

一緒にいたYOUSSOUがお金を渡してこれでちゃんとした看病をしてあげて下さいと看護師にお願いする。
それ以上私たちも何もできないので木の下に横たわっている病気のタリベをおいてダカールへ・・・・。

それでも気になって気になって仕方なかった。

タリベは病気になってもほっとかれるのか!?こんな蚊だらけの場所で悪条件のもと暮らしていては、いつマラリアになってもおかしくない。早い段階で薬を飲めば助かるのに、薬を飲まないで完治できるのか!?
タリベは病気になったら死ぬしかないのか!?

もし 私がマラリアになったらまず病院に行って診断後すぐ手持ちの治療薬を飲みダカールに上京する。首都の医者でもう一回検査をしてもらい隊員のドミトリーで休養するだろう。

産まれた場所が違うというだけで、こんなにも人間は平等なんかじゃない!!!

日本の子供の多くはちょっと咳がでるからと病院に連れて行ってもらったり、過剰なほどきれいな場所でかわいがられてかわいがられて育っているのに(みんなではないけど・・)

親元離れたところで病気になり砂道に寝転がらされていてはどんなに心細いことだろう。
例え死んだとしても親元に連絡すら行かない場合もあるとか。

カオラックにはたっくさんのタリベがいる本当にたくさん。
タリベとすれ違わない日なんてない。

こんなにたくさんのタリベがいるのに・・・何もできないちっぽけな自分。
何しているんだろうか私。

などと色々 本当に色々なことを思った。

カオラックに帰ってきて診療所の前を通っても怖くて勇気がでなくてあのタリベがどうなったのか聞けなかったのだが聞かなければそれはそれでずっと気になる。
今日診療所の前を通った時思い切って看護師に話しかけてみた。

看護師は“あのタリベマラリアじゃなかったんだよー。元気になって戻って行った”と言った。
それを聞いたとき胸が締め付けられるように嬉しかった 手を握って”ありがとうありがとう”って言ったら、”あの時運んでこなかったらきっと大変な事になっていたよ。注射をして2日くらいでよくなって戻って言ったけど、本当に危険な状態だったよ こちらこそありがとう、あの2人にもありがとうって言っといてね”っと看護師は言ってくれた。私は見ていただけだけなのに。

今回の事は”タリベが元気になってくれてよかった、マラリアじゃなくてよかったね”だけでは済まされない事だと思う。

ショッキングな出来事を目の当たりにして思う事がいっぱいあった。
何もできない小さな私でも、何か出来る小さな事を見つけてやって行くしかない。
任期残り5カ月です。

タリベ学校にて

2 件のコメント:

  1. 本当にタリベ元気になってよかった~
    今思うともっとタリベに優しくしてあげればよかったのにとちょっと後悔・・
    タリベリポート楽しみに待ってます!

    返信削除
  2. しんちゃーーーーーーーーーーん
    元気??元気?
    後悔してるの!?じゃさーセネガル戻ってきて優しくしたってー。

    返信削除