いつも先生と組む時に
”自分はマンパワーとして授業をしにきているのではなくて、セネガルの幼児教育が少しでも良くなるように、先生たちと協力をしてアイデアを出しながら一緒に図工や音楽などに取り組んでいきたいそして、私が帰った後は先生たちが継続してやっていってくれる事を望んでいるから授業は一緒にしてね。”と言っています。
最初は”解った”と言ってくれる先生たちもだんだん慣れてくると 私の授業を見ているだけになったり 途中で違うクラスに休憩しにいってしまったり、ひどい時は市場に出かけたり家にかえってしまったりする・・。
この日も、
・前回話しあって製作用に使う布を今日持ってくると言う約束だったのに ”あっ忘れたわ~”だし。(でもそれも、想像範囲内なので私も準備してきていたのでなんとか製作は出来る事に・・・・)
・私が ”すごいね~ 上手だね~ きれいだね~~”といつも子どもに言う言葉をマネして先生が馬鹿にしてくるし(セネガルの先生は基本的に子どもを褒めないので珍しいのでしょう。)子どものやる気を引き出すのはとても重要な事なんだよ!!っと馬鹿にしてくる先生に言い返すが笑っているだけ・・・。
・先生が2人居るのに一人は椅子に座って居眠り・・・ ”起きて~~名前書くのを手伝って!”というと自分で書けないの??っと反論。
・もう一人に手伝ってもらってたのにいつの間にか消えたと思ったら違うクラスに行って他の先生とおしゃべりしていて結局戻ってこず!!
はぁ~~!ってなって 寝てる方にも”ちゃんと協力しろ!!”というと
”ジャトゥーが一人でしたいと思った”という(んなわけあるかいっ!!)
どっか行ったほうにも”なんでここで喋ってんのよ!”と言うと
俺は準備も手伝ったじゃないか 今日は体調が悪いからここで休んでるんだ!っといいわけ、他に喋ってた先生と3人で怒るジャトゥーの頭がおかしいと逆切れしてくる“嫌ならやめたら?”とまで・・。
仕方がないから校長先生に言いに行って、”私の仕事は、協力してやらないと意味がないし私は先生が休憩するためにここで働いているわけではないのでもし必要ないのであればやめてもいい”と話すと”それは先生たちが悪い!”っと話に行ってくれる、、、
最初は反論していた先生も、校長先生の説得でしぶしぶ納得・・これからはちゃんと授業を一緒にやる。。。。という運びにはなる・・・。
校長先生は無理やり私と握手をさせて和解させたが
任期も後少しになって”嫌なら辞めたら?”って言われるって
本当に自分って必要とされてないんだなと思ったら虚しくて泣けてきた。
モチベーションの低い先生とボランティアがどんなに長い時間くんだとしても全く意味がないと思うし、ボランティアが来てるから授業をさせてあげているくらいにしか思っていないセネガル人と働くのは時間の無駄。
何も出来なくても何かちょっとでも出来る事があるんじゃないかと頑張ってきたけれど、頑張れば頑張るほどに、独り相撲をしている感じがする・・・
2年間何をやっていたんだろうと思うと、悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。
早速仲のいいセネガル人の所に行って話を聞いてもらったら、”幼稚園の先生は子どもが何も苦情を言わないのをいいことに、怠惰になりすぎている!!そんなの本当におかしい!”っと言ってくれました・・。そして全部話すと少し落ち着きました。
悪い人がいればいい人もいるので救われております。
何か手ごたえを感じる時もあるし、モチベーションの高い先生も中にはいるし、悪い事ばかりじゃないけれど、たぶん自分が”セネガル人め!!”って気持ちになってたからこんなにぶつかったのかな・・。
来たばかりだったら言わなかった事も、今は何でも言うから衝突も多いのかなと思うけれど、言わないでセネガルの事を諦めているよりは言ってぶつかってもよい風に変えたいと思う気持ちが強くなったのかもしれない。
どっちにしろ
こんな気持ちのまま帰国なんて嫌だから後一カ月なんとか自分を立て直して、頑張りたいのだけど・・・。凹みすぎて力がでないー
だれか助けてー。
協力隊の目的を達成するには多くの道があります。道を重要視し過ぎだと思います。布が無いお家の方は布を持ってこられません、忘れたとしか言いようがなくそこを責めると離れていくしか無いのです。人が付いて来るようになるには時間と自然体の心が必要です。インシャラ-こそその地方の自然体の一つであると思います、後少しですが目的を忘れず、頑張りすぎず目的を達成してください☺
返信削除セネガルは服を作る習慣があるので 市場で切れ端をいくらでももらえるし、道にも落ちています。そしてこの時は先生がこの製作をやりたいから自分の家にたくさんある布を持ってくるよと本人からいってきたのに持ってこなかったのです。子どもたちに何かを持ってくるように欲求する事はないし、セネガルで手に入るものとお金のかからないものだけで試行錯誤して製作はやっているので、今回は布を忘れた先生が悪いと主張し本人も後になってあやまっていました。
返信削除インシャーラこそこの国の自然体であるは納得がいきますが、人にはきっちりを求めて自分には甘いのが時々腹立たしいです。
仲直りの回もこれも読みました、よかった!
返信削除私たちの帰国後に先生たちに継続してもらうことが必要と言われるしそうは思うんですが、私はそう言ってもどうせセネガル人の先生たちはこんなこと我々が帰ったあとはやらないしな、という前提で、一人で授業をしてしまうことが多いです。(まぁ私の場合健康教育だから一人で授業をやって、先生に補足説明をしてもらう、というスタイルがベストで、先生に用意してもらうこととかはあまりないのですが)
どうせ私が帰ればやらないし、って、最初からあきらめて、めんどくさいからまっきーさんみたいに私たちが協力して、帰ってからもあなたたちに続けてほしい、という説明とか、お願いすらほとんどしていません。
まっきーさんみたいに帰国直前までも(帰国直前だから余計?)、2年間そこを折れずにぶつかってでも泣いてでも喧嘩してでも根気強く説明して、わかってもらうということ、絶対に(全員ではなくても)セネガル人の先生の心には届いているし、そこを自分のめんどくさいとか、いい顔をしてやり過ごして自分の立場を守って活動をやりやすくするとかずるいことを考えずに、まっすぐにぶつかって伝えること、私もできたらなってすごく思います。
保健の授業はあまり先生受けはよくないんだけど、図工の授業とかは「今年試験でアンスペクターが授業を見に来るから教室を飾りたい」って自分のための理由だけで頼んでくる先生が結構いて、そういうときも、準備はしてくれるの?とか、きちんと教室にいて、とか、今度は自分でやって、とかって言えばいいのに、まぁ一回授業やっとけば子どももよろこぶし、しばらくは先生も満足するか、という感じではいはいといい顔してやってるんだけど、度重なる要求に善意の枯渇を感じます。
自分が必要とされてないなんていつもいつも感じるし・・・
それでも、ぶつかりあっても主張して、お互い折れるとこは折れながら、一緒に働いていくって、本当に素敵なこと。根性もいるし。
まっきーさんの姿勢と活動、本当に素晴らしいと思います。
みさってぃー
返信削除私も最初は子どもたちが楽しんでくれたり笑ってくれるだけでいいって思って先生にも注文しなかったけど・・もう帰るってなったら よくが出てくるものでちょっとうまくいくともっとこうやって欲しいと思う気持ちが強くなるもので・・・。
だから色々言ってしまってよくぶつかりもするようになったけど、今はこれでよかったと思っています。
やり遂げた~~って爽やかに帰れるように最後まで頑張るよ!
ミサッティーはミサッティーの信じるやり方でやりきって帰ってきてね!!!