自己紹介

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 ずっと 魂が呼ばれている気がしていたアフリカに青年海外協力隊で行くことが決まりました。 どんなことが待ち受けているのか楽しみでわくわくドキドキ!!!。 幼稚園の先生としての経歴 ・日本の幼稚園4年間 ・ベトナムの日系幼稚園2年間 ・韓国の幼稚園の日本人クラス1年 ・ドイツの日系幼稚園2年間 ・日本のインターナショナル幼稚園10ヶ月 ・セネガル幼児教育隊員2年間。 幼稚園の先生最高です!!!! 自分にむいてないと思ったことは何度もあるけど辞めたいと思ったことは一度もない! 子どもから学ぶこと多し! この職業に出会えて本当によかった~~~~~~~~~~~。

2010年6月16日水曜日

水道管が壊れたよ!


”Diatou(ジャトゥー)←私。の家の横に水たまりができてるよ!!”って近隣の人に言われて見に行ってみるとそこは車が通れないほどの水たまり(池?!)が出来上がってるではありませんか!!!
どうやら水道管が地中で壊れたのか水がわき出ておりました。

慌てて大家さんの家に行くと”首都にいったよ~~”!とのこと
”いつ帰ってくるの??”っと聞くとみんなそろって「インシャーラ」(神のみぞ知る)

まってられないよ~~。ということで大家さんに電話をしてみる

でも・・・言葉を伝えるときに一番困るのが電話・・・
私の得意のジェスチャーも表情も、全く使えない。
しかも日本語→英語→フランス語→ウォルフ語の順番にどんどん単語力も会話能力も低くなり大変。

首都にいる大家さんに電話で何とか一生懸命フランス語で伝えて
”わかったから今日中に工事の人が行くように電話する!!”
っていってもらえたのに・・やっぱり来るわけもない。
今日=今日以降のいつか(泣)

セネガルでは時間は点ではなく線なのです
例えば
6時=6時以降すべての時間をさす。ピンポイントでその時間にという感覚はありません。


仕方がないから大家さんの家の住人に頼んで工事の人に連絡を取ってもらうようにいう。
”わかったよ。今日行くように手配するね!インシャーラ”
インシャーラ(神のみぞ知る)=気が向いたら=永遠に約束が守られない事もある。
もちろん来るはずがない。

次の日もまた次の日も大家さんの家に足を運ぶも”今日は行くから!”と毎日誰も来ないまま3日が過ぎたので ”今目の前で修理の人の電話番号を教えて!!自分で電話する!!!”
っていうと”電話番号わからないんだ”だって・・
(初めからそう言えよっ!!!)
とういわけで その修理人の店まで行ったが留守。
その家の壁に電話番号が書いてあったのでかけてみる。

ここからはウォルフ語(現地語訓練でも1日しか勉強しなかったウォルフ語)
・・・でも、もうやるしかない。[

”えっと えっと こんにちは 元気?・・・ジャトゥーだよ! 日本人だよ!”
あぁ水道管って何??壊れるって何??修理って何?
辞書がないので調べることもできないので知ってる限りの単語を駆使して必死で伝える。
”家の横に水たまりがあります”
”でもそれは雨じゃない”
”水が 水がたくさん”
”問題です”
”すぐに家に来て”
”ありがとう”
自分で言ってて笑けてきました。こんなんで来たら奇跡。

って期待せずまってるとなんと30分後にピンポーンって修理屋さん
”わーい”って喜んだのもつかの間
”これは僕では修理できないから 水道局に頼んでみるね!インシャーラ”

はい。振り出しに戻る。

・・もう神に任せてみようかな・・。

4 件のコメント:

  1. 次から次えと大変みたい。昔は日本も同じでした
    数日間道路がどろどろしていた事もありましたよ
    自分が得をすること意外はインシャ-ラの文化では
    しかたが無いように思えます。文明が進化すると解決
    するでしょうね。

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  2. 元気で頑張ってる?

    日本が時間に厳しすぎるのか・・・
    セネガルが大らかすぎるのか・・・

    いずれにせよそのギャップがすごいな。
    インシャーラ!

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  3. syouさん
    日本のいつぐらい昔が今のアフリカと一緒だったのだろうかとふと考えるときがあります・・。
    文明の進化と人々の心の進化は比例するのでしょうか?

    はっしぃさん
    うわ~~~!!元気元気??
    うん 世界一時間に厳しい日本から来た私は時間の流れがゆっくり過ぎるこのセネガルでからまわってばかりです(笑)
    でもやっと私もなじんできました。
    今度は日本に帰るときに訓練が必要かも(汗)

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  4. 日本の1950年台は東京や大阪の都会以外はみんなゆっくりした生活でした。

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