自己紹介

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 ずっと 魂が呼ばれている気がしていたアフリカに青年海外協力隊で行くことが決まりました。 どんなことが待ち受けているのか楽しみでわくわくドキドキ!!!。 幼稚園の先生としての経歴 ・日本の幼稚園4年間 ・ベトナムの日系幼稚園2年間 ・韓国の幼稚園の日本人クラス1年 ・ドイツの日系幼稚園2年間 ・日本のインターナショナル幼稚園10ヶ月 ・セネガル幼児教育隊員2年間。 幼稚園の先生最高です!!!! 自分にむいてないと思ったことは何度もあるけど辞めたいと思ったことは一度もない! 子どもから学ぶこと多し! この職業に出会えて本当によかった~~~~~~~~~~~。

2011年12月6日火曜日

タマハリ

今日はタマハリ(イスラム暦の新年に当たる日)です。
幼稚園の先生たちも今日はタマハリだから!!っと子どもたちをいつもより1時間も早めに園から帰してしまいました・・おかげで私の製作はやりかけのままです・・・でもまいっか~~続きは今度 インシャーラ!

19時、タマハリにしか食べないスペシャルな鳥のクスクスをたらふく食べます。
タマハリのクスクスはなんでこんなに美味しいのだろう!!!!思わずお腹いっぱい食べてしまいましたが、第二弾に砂糖入り牛乳がやってきて今まで食べていたものにかけてしまうもんだから・・・いつものなんだか甘~~いクスクスに早変わりです。・・・うえっ・・・。
ご飯が終わると、女の子は男装し、男の子は女装して、顔を白塗りし、タバスキの時殺した羊の皮を缶などに張り付けた手作り太鼓を叩きながら、タマハリにしか歌わない歌を歌って街を練り歩きます。
去年はすごいね~~って写真を撮って遠めに見ていたんですが
”何やってんのジャトゥ~行くわよ!”っと男物のセネ服を着せられ。
”え!?私そっち側!?あのっ私32歳なんですけど・・・”と言う言い分もあっさり流され、近所にかりだされる事に。
私たちのグループは幼稚園児2名小学生2名中学生2名の7人編成、”変な日本人が混ざってるぞ!!こりゃ面白いっ”とセネ人も快く米やお菓子をくれます。
一軒一軒入っていって 歌って踊って・・・なぜかセネガルで流行りのタマハリとは関係ない”ユーザー”まで踊らされてくったくた。
22時の時点で私はギブアップして帰ってきました。
この後は、私、本来のポジションの子どもに飴でもあげる側に回ろうかと思います。
結局、私たちチームの稼ぎは 米2キロ弱、ビスケット、お金950FCA それをみんなで山分けしました。
”ジャトゥ~はよく働いたからハイ250FCA(50円)ね!”と私にまで分け前をくれましたよ。
”みんなで分けてね~。”と寄付しましたが、貰ってもいいんじゃないかと思うほど我ながら良い働きをしました。
幼稚園の近くだったので 何件も生徒のいる家に行ってしまい”男装までして何やってんのよ~~ジャトゥ~!!!”って保護者は大爆笑、子どもは大喜び。
楽しかったです。
もうすぐ夜の11時ですが、家の外では太鼓の音が鳴り響いています。
去年は深夜を過ぎてもやっていたような・・。
でも明日は休日だから、思う存分夜更かしするのかな?

近所同士の関係が密で、誰でもウェルカムなこの国ならではのいい文化だなぁ~と思いました。

セネガル好きや~~~~~~~~~~~~~~。帰りたないぃ~~~~~。

2011年11月18日金曜日

タリベの生活みてみよう②

幼稚園からの帰りを徒歩にしてみたら、 3つものダーラ(タリベたちが住む家)がある事に最近気づいた私です。

ダーラによってタリベの生活もルールも少しずつ違うようですが、今回は私が通っている所のタリベたちの様子を紹介します。
朝はお祈りをみんなで済ませて町に托鉢(主に朝ごはんをもらう目的)に出かけます。
病気の子は部屋で寝ていました・・・(でもご飯食べ損ねちゃうよね)

だいたい一日中自由なので一番暑い時間は日陰で休んでいるか、ダーラの前でサッカーなどして仲間と遊んだりしています。

食事の時間になると町に出かけお昼や夕食を済ませて戻ってきます。

夜は、コーランの本の切れ端をノートに写して自主勉強をします(ノートは木で出来ていて何度でも洗って使えます)大きい子はきれいにアラビア語が書けました。
                                              
 ダーラはコンクリで出来ているものの穴があいていて吹き抜けで、


 夜は8畳くらいの暗い部屋に10人ものタリベが寝ています、10人に対してマットラ1枚、ござ1枚、蚊帳が1つしかありません・・・。なのに全然帰ってこないセリン(ダーラを取り仕切っている先生)の部屋はちゃんと1つ確保されており、ベットも蚊帳もついていました。
2011年はカオラックへの大規模な蚊帳配布があったにも関わらず・・・ダーラには全然届いていませんでした・・・どこに吸収されているんだ!?ここに配らないでどこに配る!!!!!!

 18歳の一番年上のタリベがコーランを言わせて先生役をしている事もありますが、タバスキ前は1カ月休みでタバスキ後も、休暇だとかいって、まだ一回くらいしか授業をしているのを見た事がありません。最近は18歳のお兄さんタリベすら里にかえっているとかで、なんと5歳から13歳くらいの小さな子どもたちだけで暮らしています。

 子どもたちは大きくなったら近所の人たちに声を掛けられて家具やさんになったり、自分で選んで仕立て屋さんに弟子入りしたり、市場で何かを売ったりする人になったり、親戚が引き取ったり、家に戻ったり、出来のいい子はセリンになったり、マラブーになれる道もあるんだとか・・・。確かに15歳以上になるとタリベの数が一気に減るのはそのせいのようです。
大きくなったらマラブーになってお金持になるんだ!と夢を語っている子もいました。



 ・・・ところでヨーロッパなどのNGO,赤十字から時々届く救援物資(使用済みの服や靴などの寄付)はコンテナを乗せた船が着いた瞬間、市場のおじちゃんたちに中身もチェックされないままに箱ごと安い値段で買い取られていきます。
そして、市場に商品として並ぶのです。
(去年市場で買った800FCFA=160円のクロックスはこれだったのか、と今になって気づく・・・・。)
もちろんそれをタリベが買うわけもなく・・・・、いつになっても裸足のままです。
こういう物資が本当に必要な人たちに全然届いていない現実があります。

時折ベットやベットマットのように大きいものも届く事があるそうですがそういう高価なものはすぐに権力のある関係者の手に渡ってしまうとセネ人は言っていました。

 お金を寄付しても、物を寄付しても、本当に必要な人の所に届いていなければ意味がない!援助の仕方の見直しも必要ですが、まさに私たち協力隊は一番いるところに物資を直接投入できる存在なのかもしれないなぁっと、今まで物をあげることに抵抗があった私も考えが変わりつつあります。
物をあげればきりがない!けれどタリベは“お腹がすいた”といった私に自分がもらった托鉢のご飯をさしだしてくれました。
タリベは分けてくれるのに私は何もしないって・・・。

タリベという存在が身近になってから、何か出来る事があればやるし、あげれるものは出来る範囲であげようと思うようになりました。

必要なところには援助が必要です。

 一番暑い3時ごろよれよれと歩くタリベに水が飲みたいと家の前で呼び止められました・・。
家にいれてお菓子と水を出すと嬉しそうに食べていました。以前だったらしなかったな。


名前は”モドゥー”5歳です・・。
昼ごはんを食べ逃したそうです。

”お腹がすいている時や困った時はいつでもおいで”と自然に言葉がでてきた。
それはいつもセネ人が私に言ってくれている言葉と全く一緒でした。

そんな事をしたらこれからどんだけのタリベがうちに来るかわからない、と少しおびえていたのですが、時々水をもらいに来る子供は増えたもののそんなに前と変わりません。
(自分が家に最近いないので気づいていないだけかもしれませんが・・・)

そしてそのタリベが出ていくと、入れ変わりに当たり前のように入ってきて、水をもらいに来た奴が
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こちらは”犬タリベ”

野良犬のハエちゃんです、キュンキュン言って水をくれとせがむのであげると容器に鼻を全部突っ込んで飲み干して昼寝に入りました・・・。

確かに昼間の外は日陰すらなくて暑いもんね・・・避暑地になるのも解る気がする。



ついでにこの子は夜行性の・・・



”ハリネズミ タリベ” 完全に住みついています。


・・でも・・・おやっ!!??こちらは!!!

確かこの人たちは自分の家があるはずなのに・・・。
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こちらは”ジャポネ タリベ”

人の家で ご飯食って ネットやって グダグダしております。
(日曜日やけどもやな・・)

好き勝手やってるように見えますが一番手前のYちゃん曰く”今教材作ってるのよ~”
だそうです。

はいっ?そのようには見えませぬが・・・・。

私の家は休憩所かいっ!!

2011年11月13日日曜日

遊びも全力投球!

新隊員が先日来ました。
カオラックメンバーはずっと新隊員が来るのをまっていたのよ。

なぜなら・・・
↓これをやるため





















これキュートン。

おもろカッコイイ!!っということで一目見て気に入る。
”あぁ私たちカオラック5は人・・・でも新隊員がきたらできるね~”
ってみんなで心待ちにしていたのです。

夜に集まって3回くらい練習し、寝起きからの撮影です。
練習してる時から笑いすぎて死ぬかと思いました。
たまにはいいでしょ?(たまにじゃないか・・)
くだらない事にも力を抜かないで遊ぶ。
これ重要。
みんなの心が一つになりました!?
(新隊員がどう思ってたのかは不明ですが)
100人余りいるセネガル隊員ですが
カオラックは一番仲いいですっ!っと本人たちは思っている。
少なくとも私はこの任地とこの任地の一人ひとりが大好きです。
人間関係がよいと活動もよりうまくからいいのです!!
楽しいし、助け合えるし、仕事も進む!
一石二鳥
おまえ何歳やねん!?っとか聞かない聞かない・・・。

実物のキュートンはこちら↓
http://www.youtube.com/watch?v=aAF6tt97Yy4

2011年11月8日火曜日

タバスキ(犠牲祭)=フードファイト羊編

セネガルで一番大きな行事タバスキがやってきました。
ここ一カ月ぐらい”羊を買うお金を貸してくれ〜〜”っといつも以上に金の話ばかりしてくるセネ人にうんざりもしましたが、いよいよタバスキ当日!
羊にとっては大量虐殺の日でしょうか・・・。


9時に金持ちの大家さん家に行くと、なんと4頭のどでかい羊が待っておりました。しかも一頭一頭がでかい!!!


羊解体の流れ
(一年前グロい写真をたくさんのせたので今回は省略しておきます)

①男性&男の子が嫌がる羊の足を縛って寝かせる
②羊を買ってきた主人が首にナイフをザクッと入れて羊君を葬り血を抜く
③皮をきれいにはぐ
④お腹を切って内臓を取りだす
⑤足や首を切断して肉を切り分ける
⑥取りだした肝臓をすぐに焼いてみんなで食べる
⑦残りの肉を女の人が調理する

ちなみに2週間前にカオラックに配属されてきた新隊員君は②の所で気分を悪くしギブアップ・・おうちに帰って行きました。大丈夫だっただろか・・・。

あの解体を見た後すぐに、わーい肉だ〜〜っと肉にかぶりつける自分・・
セネガルで成長したなと感じた瞬間です。

”ジャトゥ〜はいっこれあなたの仕事ね!”
っと与えられたのは何と・・・
内臓用タライに並々入っている、ビラビラの何かをピンクの何かとセットにして適当な大きさに切り、腸でしばりつけるというすごくエキゾチックなお仕事でした・・・・。


まだ羊の温かさを感じながら・・・今まで触ったどんな面白いものよりすごい感触が体験できました。保育用語でいう感覚遊びですね。
保育では取り入れられないので私が代表して堪能しておきましたよー。



本日のメニュー。




朝一番;羊肝臓!
その後;リブ肉BBQ
昼;焼き羊&パン
夜;焼き羊&ヤッサソース

”食べろ!もっと食べろ”っといって口に運ぶとまた肉を手に握らされるわんこそばならぬわんこ羊をし、拷問を受けてるのかと勘違いしましたが、セネ人は”今日残った肉を明日も明後日も毎日食べるよー毎日食べに来なさいね!”っと言ってきたので目をそらした私です。ゲップ。
出来ればしばらく見たくないな・・・・


解体された自分の足と皮を首が眺めておりました。
シュールな図に思わずパシャり・・・。


今回も命を分けていただきました。

毎日食べている肉のすべては、もともと命あるもの。
当たり前なんだけど忘れがちな大切な事を再確認した一日でした。

羊君ごちそうさまでした。あなたの肉は温かくて美味しかったです

2011年10月28日金曜日

タリベ実態調査!

幼稚園の帰りいつもと違う道をぶらぶら歩いていたら子どもたちの声が・・・引き寄せられるように、行ってみるとそこはタリベの学校(兼おうち)でした。
タリベたちが住んでいる家の事を”ダーラ”と呼びます。

中でコーランを唱えている子どもたちと先生役をしている年上のタリベがいたので喋りかけて無理やり友達に・・・・。これでタリベの事をもっとよく知れる!!
幼稚園からすぐ近くだし、13時に仕事は終わってしまうから、午後はタリベの学校に入り込んで実態調査をしてみようかと・・・相手の状況を知らなければ何をしていいかも思いつかないし・・・(小さな一歩!?)


教室には誰もいなくて年上のタリベたちと小さな子だけ・・
どうしたの?って聞くと”今日は木曜日だけど俺たちにとっては日曜日なんだーだから休み”と言っておりました。
それじゃ丁度いい!っと言う事で居座って喋っているとスイカ屋さんが・・・
スイカに群がるタリベと近所の子供たち!小さなスイカは100FCA(20円)で買えるんだって。
みんなが托鉢でもらってきたお金でスイカを買う先生タリベ(ここでは一番年上の17歳タリベが先生とよばれてすべてをまかされていました)そしてスイカを買って年上の子たちで食べ 私にもハイって渡してくれました。

えーーーーーーーーーーーーーー!!!
物乞いしているタリベにスイカをおごってもらうなんて・・・出来ない出来ない!!!
”いいよみんなで食べてっ”と言うが小さいタリベも受け取らない、みんなでじっと私がスイカを食べる姿を眺めている・・・・・・。
セネガルでは年功序列や力関係がはっきりしているので、私が小さなタリベにあげたからといって年上の子たちが私にすすめているものを受け取る事はできないのです。

少し食べて お腹いっぱいっと言って(←結局タリベにスイカを御馳走になる私)
地面に置くと我先にとちっちゃいタリベ達がスイカをとってむしゃぶりついていました。
よく白いところまで食べる人がいるけれど白いところを通り越して皮の緑のとこまで食いつくしていました・・・。お腹へってるんだね・・・。

その後、一人のタリベに家の中を案内してもらいました。
コンクリで出来た家の中は窓もなく真っ暗・・・もしくは壁が壊れててそこが吹き抜けか・・
勉強部屋1つ 寝室2つ マラブーの部屋一つ 先生タリベの部屋1つです。
”ここは寝るところ・・10人寝てるよ!と見せてくれた部屋は6畳ぐらいのコンクリむき出しの部屋で、薄っぺらいマットラ一枚とござ一枚そして蚊帳2つがぶら下がっている・・・どうやって10人寝ているのか想像できません!!!タリベ学校に泊まりこもうと思っていた私の意志はここで折れることに・・・・。
日本の刑務所とかのほうがよっぽどましなんじゃ・・・。

その後お祈りの言葉(呪文!?)を教えられ明日までに覚えてこい!っと言われました。
”お祈りしてなかったら死んだとき神様に叩かれるんだよ!ほんとだよ!”と真剣に17歳タリベに説得され・・・・神様が叩いてくるとかそんな図想像できないな・・と思いながらも彼らの言われるがままにメモを取ることに。
お礼に日本語を教えてあげるとタリベたちはいつか日本に行きたいから!っといってアラビア語で一生懸命、単語を書き留めていました、”ごはん ちょーだいっ”っとか”お金ある?”とか・・・日本で使う機会あるのか?彼らの知りたい単語はタリベ目線で面白かったです。

お昼食べていきなよーと言われたので一緒に待っていましたがなかなか来ない。。。
どこからも来ない・・・
”ねぇ お昼ってどこから来るの!?”って聞いたらみんなが食べた後のご飯を集めてまわって、タリベ缶に入れて(タリベが托鉢の時に、お金とか、米とか、砂糖とかいれるボール)色んなとこから持って帰ってくるんだよ~~~~~だから チェブジェンだってだって、マフェだって、なんでも好きなものが食べれるよーーーー。だって。

タリベが持ち帰ったわずかなご飯を、スイカのようにタリベに見守られながら食べるのかと思うとぞっとして・・・・あっ!!私帰ります!!”っといって退散してきました・・・・。
この分け与える精神半端ないな。私も心を入れ替え見習いたいと思います。


タリベたちの様子を少しずつビデオに撮って発信していきます。
今回はPart1
タリベたちの自己紹介です。どーぞ。


2011年10月27日木曜日

命

首都のダカールに行こうと家の前でタクシー待ちをしていたらちょうどタリベが出勤してきた。
いつもたくさんの石と一緒にトラックに積まれてやってくるか ロバの馬車(ロバ車!?)に載せてもらってくるか・・・・色々だけれど今日も大量のタリベがロバシャレットから降りてきた。

よく見ていると一人すごく体調が悪そうなタリベが・・・12歳くらいだろうか・・・他のタリベが支えるも弱り切っていて歩けず・・・一番大きい子が背負ってみるが 気分が悪いらしく嘔吐のたびに地面に下ろされている・・・。

※タリベとは 5歳くらい~18歳までの男の子たちがイスラム教を学ぶためにマラブー(日本で言うとお坊さん!?)に預けられてタリベ学校と言われる所で集団生活をしている。
だが実際は(学校にもよるが)イスラム教やコーランを学んでいる時間はほとんどなく 朝から日が落ちるまで物乞いをさせられている。
一日のノルマは300FCA~500FCAで恵んでもらったお金はすべて授業料、生活費だと言ってマラブーが受け取る。
しかしご飯が学校で出るわけではなく、タリベは朝も昼も夕方も民家の余りご飯をその場その場で貰っていて、栄養状態もよいようには見えない。

タリベのいでたちはボロボロでブカブカの服をまとって素足、トマト缶やプラスチック容器をわきに抱えてそこにお金や、米や、色んなものを恵んでもらう。ストリートチルドレンのようにも見える。

彼らの多くは地方都市からやってきていて親はコーランを学ばすためにマラブーに自分の子を使えにだすとでも言っているのだがうすうす、物乞いをしているだけの現状には気づいているようだ。


貧乏な家庭の場合、女の子は家事手伝いに使われるが男の子の場合食いぶちを減らすためにマラブーのもとへやるという選択肢があるのだ、遠くからやってきているタリベ達は自分の意志では家に帰る事すらできない。

そんなタリベが病気で立てなくなっている状況にもかかわらず、物乞いして来いとシャレットに乗せられたのか!!!!!???

私たちの目の前で座り込むタリベ、、、一緒にいたセネ人のプティがその子をだき抱えて向かいにある診療所まで運ぶ・・・。心配そうに見つめる他のタリベたち・・。

診療所につれていくもタリベだからかもしくは本当なのかは解らないが、病室が満室だからと 看護師たちは診療所の外の木陰の地面にタリベを寝かせる。
熱を測ると39度、他のタリベいわくもう3日も前から体調が悪いそうだ。

タリベはぐったりして抱っこしてもだらんとして何も言わない・・・
重症のマラリアかもしれないと看護師がいいマラブーか先生をよんできなさいと子どもたちにいうが誰もきそうにない。

一緒にいたYOUSSOUがお金を渡してこれでちゃんとした看病をしてあげて下さいと看護師にお願いする。
それ以上私たちも何もできないので木の下に横たわっている病気のタリベをおいてダカールへ・・・・。

それでも気になって気になって仕方なかった。

タリベは病気になってもほっとかれるのか!?こんな蚊だらけの場所で悪条件のもと暮らしていては、いつマラリアになってもおかしくない。早い段階で薬を飲めば助かるのに、薬を飲まないで完治できるのか!?
タリベは病気になったら死ぬしかないのか!?

もし 私がマラリアになったらまず病院に行って診断後すぐ手持ちの治療薬を飲みダカールに上京する。首都の医者でもう一回検査をしてもらい隊員のドミトリーで休養するだろう。

産まれた場所が違うというだけで、こんなにも人間は平等なんかじゃない!!!

日本の子供の多くはちょっと咳がでるからと病院に連れて行ってもらったり、過剰なほどきれいな場所でかわいがられてかわいがられて育っているのに(みんなではないけど・・)

親元離れたところで病気になり砂道に寝転がらされていてはどんなに心細いことだろう。
例え死んだとしても親元に連絡すら行かない場合もあるとか。

カオラックにはたっくさんのタリベがいる本当にたくさん。
タリベとすれ違わない日なんてない。

こんなにたくさんのタリベがいるのに・・・何もできないちっぽけな自分。
何しているんだろうか私。

などと色々 本当に色々なことを思った。

カオラックに帰ってきて診療所の前を通っても怖くて勇気がでなくてあのタリベがどうなったのか聞けなかったのだが聞かなければそれはそれでずっと気になる。
今日診療所の前を通った時思い切って看護師に話しかけてみた。

看護師は“あのタリベマラリアじゃなかったんだよー。元気になって戻って行った”と言った。
それを聞いたとき胸が締め付けられるように嬉しかった 手を握って”ありがとうありがとう”って言ったら、”あの時運んでこなかったらきっと大変な事になっていたよ。注射をして2日くらいでよくなって戻って言ったけど、本当に危険な状態だったよ こちらこそありがとう、あの2人にもありがとうって言っといてね”っと看護師は言ってくれた。私は見ていただけだけなのに。

今回の事は”タリベが元気になってくれてよかった、マラリアじゃなくてよかったね”だけでは済まされない事だと思う。

ショッキングな出来事を目の当たりにして思う事がいっぱいあった。
何もできない小さな私でも、何か出来る小さな事を見つけてやって行くしかない。
任期残り5カ月です。

タリベ学校にて

2011年10月26日水曜日

新学期 やっとやっとやっと始った・・。

えーっと 前年度が終わったのが6月末・・・ということは約4カ月ぶりに幼稚園が始まりました。休み長っ!!!!!

まだ全員じゃないけどだいぶ子どもは増えてきました。
しばらくぶりなのでちょっと人見知りをして私の様子をうかがう子どもたち・・。そのうち服が破れるくらい引っ張られてよじ登ってきて歩く事も出来なくなるから今を楽しんで優雅に写真なんぞ撮ってみたりしています。



はじめて見る外人を見て怖がって泣く新入園児もいるけれどやっぱりみんなかわいいです。

私 今年は”ゴミはゴミ箱に!”をっ徹底的に叩きこみますよ。



クラスに入ってみると先生たちは壁面飾りに夢中で子どもはござにほったらかし・・(まぁいつもの事ですね!)


でも嬉しい事が・・”去年一緒に作った日めくりカレンダーなくなってるよ・・どこにやったの?”って聞いたら”誰かが持っていってしまったんだけど・・・”
”でも今年は私自分で作ったのよ!!”っといって見せてくれました。
すごい!!!!!!!私がやった事覚えていて自力で材料を集めてつくっていました。こんな嬉しい事はないですね。
ちなみに去年私が作ったのは
これ↓









で今年ハディ(先生)が作ったのはこれ
↓

ん!?

絵がすごくオリジナル~~~!特に左から2番目のなんて・・・”おぬし何者じゃっ!!!”って絵に向かって喋りかけてしまったけど、これは日本人のセンスじゃ描けないですよ!!!ただ者じゃない何かです・・・きっと。
すばらしい!!!

そして今年は去年から目をつけていた先生の中でもやる気がある先生を自分から捕まえて
”今年は一緒にやろーーよ~~~!!”
一人で保育するんじゃなくて私4月に帰っちゃうから2人で考えた保育を実践しながら私が帰った後もあなたが継続して幼稚園でやっていってほしいの!!ってめっちゃ説得し、園長先生にも”私、今年はあの先生と組みます!”と強引に宣言!!みんな好きにすれば~~って快く承諾してくれました。
やっぱりベテランの先生と組んでも今までのやり方を崩さないしマンパワーに扱われる事が多いけど若くてこれから学びたいみたいなやる気のある先生と組むと あれもしたいんだけどこれもしたいんだけど・・と色々話してくれるのでとてもやりがいがあります!!ヤッタネ今年はなんだか出だし好調です。

さらにJICAの支援経費を使って70冊増刷したデコレーションブック
(セネガル先生たちは絵が上手じゃなくていつも描いて~っと頼んでくるし、擬人化されたかわいい塗り絵などが全くないので先日帰国した幼児教育隊員のゆいなちゃんと一緒にぬりえ本を作っちゃいました)が完成したので先生たちに見せると”これはすごい”っと大絶賛!
”そうだ!年長園児全員分コピーして一人ひとりに配って園児の塗り絵帳にするわ”っと言ってくれました!!!

ゆいなちゃん!!2人で作ったデコレーションブックが年長の教材になった~~!!一人一冊ずつ園のお金でコピーしてくれるんだっって!!!

めっちゃめっちゃ 嬉しいです。

デコレーション本作製風景


100ページにわたる塗り絵完成!


たくさんの子どもたちが使ってくれると嬉しいな。